在サウジアラビア・リビア大使館、革命派に加わり同派の旗を掲揚
2011年09月21日付 al-Hayat 紙

■在リヤド・リビア大使館、革命派に加わり同派の旗を掲揚

2011年09月21日『アル=ハヤート』

【リヤド:アフマド・ギラーブ】

在サウジアラビア・リビア大使館は、2月に始まってムアンマル・アル=カッザーフィー政権の打倒に成功した民衆革命に正式に加わった。在リヤド大使館員およびサウジアラビアに駐在中の外交官はみな革命を承認した。同大使館では旧国旗が降ろされて、数日前から革命旗を掲げている。

本紙独自の情報筋が語ったところによると、ムハンマド・アル=カシャート駐サウジアラビア・リビア大使は、5月末にサウジアラビアを去った。同大使はアル=カッザーフィー政権崩壊前に同政権と敵対した最有力者の一人であった。同大使の在任中には、サウジ当局が「サウジアラビアのアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ国王が皇太子時代に、アル=カッザーフィー大佐は同皇太子の暗殺を目論んだが、失敗に終わった」と明らかにして以来、両国関係が極度に緊張した。その後、アブドゥッラー国王はこの事件に関与した者に恩赦を与えている。

アル=カシャート大使は、芸術や歴史、文化振興に関心のある人物だったが、カッザーフィー政権の崩壊後、彼の外交官生活に関する重要文書が公になった。同大使館発の暗号化された手書きの公文書は全て、大使がサウジアラビアを離れる前の3月に書かれたものである。インターネット上に存在する文書の中には、自らを「リヤド事務所所長」と称するムハンマド・アル=カシャート大使がアル=カッザーフィー大佐の事務所やトリポリにあるリビア外務省に送った電信記録がある。これらには、リビア革命やファイサル・サウジアラビア外相のトルコ訪問に関する情報がつづられており、中にはサウジアラビアが、リビア体制に反対する立場をとっていた中国を中立化させる役割を果たしたと言明しているものもある。
 
漏洩した文書の中には、アル=カシャート大使がリビア民衆の動きに対するトルコ政府の立場を意図して「サウジアラビアがアル=ファイサル外相をトルコに派遣した後に、トルコは態度を変えた」と指摘する電報もあった。

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( 翻訳者:梶原夏海 )
( 記事ID:24040 )