PKKチュクルジャ襲撃(9.19)はこうして行われた―詳細解明
2011年11月08日付 Milliyet 紙


ハッキャーリ県チュクルジャ郡にて10月19日夜、兵士24名が殉職した襲撃に関する詳細が解明された。

ヴァン特別権限共和国主席検事の指示通達を受け郡部軍警察司令部により作成された捜査ファイルで明らかになった情報によると、同襲撃は約120-150名から成るグループによって行われた。

サバフ紙の報道によれば、スィイルト県で住民登録をしており「レシト・エルスィ」のコードネームを持つメフメト・ジャン・ギュルハンを含むクルド労働者党(PKK)党員5名が襲撃命令を出したことが明らかになっている。更に、殺害されたPKK党員の衣類及び押収されたパソコンには、ケクリクテペ軍事基地襲撃前に撮影された写真複数枚が入っていた。

■ トルコ軍兵士らの情報

問題の写真が8月23日に撮影されたものであることが判明した。テロ組織PKKのチュクルジャ襲撃は2ヶ月前から準備が整えられ、襲撃地点決定に向けた偵察や(対象の)見取り図を作成する目的で様々な角度から基地の写真が撮影されたことが明らかになった。

更にパソコンには、国境地帯の部隊で任務に就いていた上級軍人らの階級、名前、任務が記載されたリストが入っていた。一方、スィイルト県エルフ郡で住民登録をしており「レシト・エルスィ」のコードネームを持つメフメト・ジャン・ギュルハン、PKKの元エルズルム責任者で「アザト・スィセル」というコードネームを持つエクレム・ギュネイ、元ディヤルバクル責任者で「エイリュル・アメド」のコードネームを持つムラト・ウチェル、「ヴェラト・ヘリンキ」のコードネームを持つセフェル・アジャル、そして、バトマン県で住民登録をしており「アギト・ガルザン」のコードネームを持つ人物の指揮下で襲撃が実施されたことが、捜査ファイル上で他の重要事項詳細として言及されていた。

ギュルハンは以前、ダールジャ、アクチュチュン、ベイユルドゥ、ハンテペの駐屯地を対象とした襲撃任務に当たっていたことが分かった。彼は、ベイユルドゥ駐屯地を襲撃した際にPKK党員12名が死亡したことを受け、組織からその失敗に関し責任追及され取調べを受けており、組織に対し汚名を返上しようとチュクルジャ襲撃において積極的な役割を担ったことが明らかとなった。襲撃目標決定び潜入予定の軍事拠点を攻撃するグループ構成員の選抜に当たっては、カンディル山の総責任者でコードネーム「ファズゥル・ボタン」のアフメト・シェケルが執り行ったことが判明した。シュルナク県スィロピ郡チャルシュカン村で住民登録をしている彼がチュクルジャ襲撃を組織し取仕切った張本人であると報告された。ディヤルバクル県ディジュレ郡で発生した治安部隊との武力衝突で負傷したPKK党員ムラト・ウチェルは治療のため北イラクへ搬送され、治療後にチュクルジャ郡責任者として派遣されたと報告された。ディヤルバクル特別権限主席検事の記録によれば、それぞれ8回の武力行為で兵士6名が殉職した件で彼を捜索中だと伝えられている。

■ 濡れたレインコートを着て…

一方、ケクリクテペ軍事基地を偵察し、写真撮影を行ったPKK党員が、コードネーム「セクヴァン」のセラハッティン・ビルゲであることが分かった。彼は同地にて歩行困難に陥ったことを理由に冬をマフムル・キャンプで過ごし、夏には、むしろ後方支援、偵察、諜報といった活動に従事するためブズル山、バルカヤ山へ赴いたと報告された。殺害されたPKK党員らの衣類の中や襲撃後の捜索活動時に、色の濃いレインコートが多数押収されたと報告された。襲撃の夜、雨が降っていなかったにもかかわらず、彼らは水で濡らしたレインコートを着用し、基地に潜入する際に体温感知センサー付赤外線暗視カメラに映らないようにしていたことが分かった。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:24484 )