強者のこの世、殉教者のあの世
2011年11月19日付 al-Hayat 紙

■強者のこの世、殉教者のあの世

2011年11月19日『アル=ハヤート』

ムスタファ・ゼイン

 ワシントンの中東問題研究所のデビッド・ポロックはアメリカ当局に「シリアの命綱の切断」を助言した。この命綱とは「シリア体制を、経済的、政治的、治安的に守るもの」であり、イランとシリアの間のリンクを作り、さらにレバノンとパレスチナに通じる。この研究所を知らない者のために言うが、これはアメリカ・イスラエル関係委員会AIPACが1985年に設立した研究組織で、主にここでの研究は公式政策に反映される。
 シリアの悪化する危機状況の大部分が体制の戦略に関係するという事実は、前アル=アサドのイランとの同盟決定以来、またイスラム革命のシャーの転覆以来、現在まで続いており、さらに彼の息子[バッシャール]の戦略にも引き継がれ、様々な経済的、政治的、軍事的側面のうえにさらにこの関係は深まっている。言うまでもなく、アメリカとアラブの目的は、バッシャール・アル=アサドが政権に就いたとき以来、主目的をこの同盟の解消であった。イラク占領、解体後、ダマスカスにこの方向で圧力をかけてきた。アメリカの大いなる愚かさが発揮される以前に、イランは複数の党とや集団をかこい、いまだにこの徒党は保たれている。そして、アメリカとイランを一方に、アメリカとシリアを他方に、バグダッドは闘争の場と化した。
 この闘争は、シリア軍のレバノンからの撤退を余儀なくした2005年のアル=ハリーリー暗殺後、より暴力的な方向に向かった。しかしシリア政府はこの衝撃を、民衆のそれに関する驚くべき支援と、イランとトルコとの戦略的関係を強化することにより、吸収することが出来た。その後、2006年のイスラエルによるレバノン戦争があったが、これはヒズブッラーの排除への希望、地域への闘争の発展した状況からのシリアとイランの排除などを目的していた。
 しかし戦争は失敗した。そして、結果として、より強力なシリア・イランの拠点が出来たのである。イラクでのこの影響力はより深くなったが、特にイヤード・アッラーウィーが首相となることに失敗し、ヌーリー・アル=マーリキーが、その代表するものを含めて、そのポストについた後、それは顕著になった。
 言い換えれば、本年末のアメリカ軍撤退後、シリアとイランはイラクにおける治安の空白を埋める用意が出来てきたが、この現実を変えるために何かをする必要があった。そこで、アメリカはアラブの春とシリアでの事件をこの状況を覆すために利用し始めた。イランが、もしイラクにより深く浸透し、シリアとの同盟を保つ状況では、アラブはイランを湾岸に危険をもたらす敵とみなす。「アラブの春」の当事者と、このような考えを持つアラブの中で、彼らをバックアップする者とに、(アメリカ)はこの中で遭遇したのである。
 ポロックはアメリカ当局にシリア政権の命綱を切るようにアドバイスした。これには、シリア人が求める民主主義と自由のサインは全く含まれていない。重要なことはアメリカの利害とその影響力の保護である。アメリカがその政治と戦争を隠すためのイチジクの葉そのものは、何の意味も持たなかった。シリアとイランの同盟を解体することが重要なのであり、このゴールの達成にはシリア人の血で持って贖うのである。

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( 翻訳者:山崎やよい )
( 記事ID:24587 )