Aslı Aydıntaşbaşコラム:CHPへ、デルスィムの「罠」
2011年11月21日付 Milliyet 紙
1938年のデルスィム事件[デルスィムにおける虐殺事件]における共和人民党(CHP)の役割が議論されている。しかし、いまだ、何千人もの人々が死んだ事件に関する公的資料さえ公開されていない。実のところ、メディアのデルシィムへの関心は、そもそも「歴史と向き合う」というよりも、CHPとクルチダルオール党首を苦しめることを目的としている。だが、改めて、野党第一党(CHP)は、問題を複雑にすることなく、歴史のこの闇に関する議会委員会の設立を認めるべきだ。
政府に近い報道機関が一斉に「公的史観と向き合う」流れに入ったことは喜ばしいことであった。CHPのトゥンジェリ選出国会議員、ヒュセイン・アイギュン氏がザマン紙に寄せたルポルタージュによって始まったデルスィム論争は、昨日、スター紙、ブギュン紙、トゥルキエ紙の諸紙で一面を飾り継続している。異論はまったくない。1938年のデルスィム事件は、本当に、共和国の歴史の中で最たる闇の部分のひとつである。幸いなことに、今期の国会にはアイギュン議員のような、パンドラの箱を開けようと尽力する活動的な政治家たちがいるのである。
しかし、一斉に公正発展党に近いメディアに啓示のように下った「歴史と向き合う」という熱情の背後には、CHPの内部をかき回し、デルスィム大虐殺の被害者の家族の出であるケマル・クルチダルオール氏の地位を揺さぶろうという目的があることは疑いない。
■なんと言おうと批判される
デルスィム論争は、CHPを攻撃する人々にとっては、一石何鳥かの可能性がある。第一の目標は、クルチダルオール氏の「血統」と彼がアレヴィー派であることを絶えず問題とすることである。[クルチダルオール氏のこの特質は]選挙の過程でアナトリアのいくつかの地域で「スンニ派の反発」を引き起こし、公正発展党の選挙での成功に寄与した。これらの報道は、実際にデルスィムで起こったことを取り上げるたびに、実は、「デルスィム出身のケマル[・クルチダルオール]がどうするかみてみよう」と発言できるよう[意図しているのは]明らかなのだ。最終的には、CHP党首の対応は、「奴[クルチダルオール]はデルスィムの問題をちゃんと取り上げることができなかった!」といって「臆病者」扱いとされるか、あるいは反対に、「奴はいずれにせよアレヴィーなのだ」といって、「異」分子扱いされて、非難を浴びることになるはずだ。
■なんであれこの問題の議論を!
デルスィム論争を継続的に煽ることの他の利点は、政党の遺伝子コードのひとつである「アタテュルクに対する敏感さ」に触れて、党大会前のCHPにおけるオンデル・サヴとデニズ・バイカル[時代]を偲ぶ党内の厳格なケマリストたち[の感情]をくすぐることができるということである。(ヒュセイン・アイギュン議員に反対する厳しい文書を明らかにした9人のCHP議員たちの場合のように。)公正発展党所属の議員たちは、クルチダルオール氏が党首となったのを当初は自分たちに有利と見なした。しかし、選挙の過程で、この状況は一転し、両党党首の間には深刻な個人的な対立も生まれた。[CHPの獲得した票が]26%の票に留まったにせよ、政権(公正発展党)はCHP党首の「世論を作りだす力」と、暴露資料をさがしだす能力を脅威とみなしている。今日では、CHPの党首が変われば、[公正発展党は]喜ぶ状況にある。
そして、デルシィム論争を過熱させるもう一つの目的は、アレヴィーたちとCHPの間の結びつきを弱め、ほぼ全体として左派に投票するアレヴィーたちをCHPから離すことである。
しかし、私は、改めて、諸事情が何であれ、デルスィム問題の顕在化を嬉しく思う。今日、デルスィムについて「歴史と向き合う」ことを望む報道諸機関が、将来1915年のアルメニア人虐殺事件、あるいは90年代のアナトリアの南東部での村落破壊(3500の村のことを言っている!)と未解決事件の捜査の点において、同様の勇気をもって行動することを望む。
■「誰の歴史が清いのか?」
そもそも、次のことを忘れてはならない。最近、保守的なメディアが、その名前を絶えず口にしているトゥンジェリ選出のヒュセイン・アイギュン議員は、以前は絶えず90年代に破壊された村と拷問を受けた人々の権利を主張し、加えて、国内で法的措置が閉ざされた際には、これらの事件を欧州人権裁判所(AIHM)へ持ち込むことに成功したのである。[今デルスィムを問題としている]同じメディアが、この先この種の事件についても追求することを願っている。
だが、デルスィムの問題に戻ろう。既にパンドラの箱が開けられたのに鑑みれば、CHPは急いでこの問題に対する態度を決めなければならない。そして、このアレヴィー派、デルスィムという[問題の]複雑さにとらわれることなく、民主的な態度をとらなけばならない。
昨日、ヒュセイン・アイギュン氏同様に弁護士で活動家出身のセズギン・タンルクルCHP副党首は電話で、「共和国の全ての罪にCHPに責任があるというのは不公平だ。民主化がとても進んだ国々の過去においてさえ、このような[暗い]ページはある。誰の歴史が清いのか?フランスか?ドイツか?デルスィムでどのような辛いことが生じたか、知っている。しかし、[今の議論の]目的は、共和国の歴史のある時期と向き合うことではなく、共和国のよい側面をも実現したCHPを断罪することだ。ただし、もちろん我々は改めてこの問題に対して関心をもたなければならない…」と述べた。
■もっとも正しい議論の場所は議会!
タンルクル副党首は、極めて正しい。ここで、行われなければならないことは、事件をCHPに対する悪態をつく機会とせずに、[議論の場を]議会に譲り渡すことだ。タンルクル副党首の提案は、議会にデルスィム委員会を創ることである。昨日、似たような提案がビュレント・アルンチ大臣から出された。
両方の政党が「歴史に向き合う」ことに準備ができているなら、なんてすばらしい!ならば、委員会を創ること、国のアーカイブズを公開することは時間の問題ということである。
やがて、誰かが、80年代と90年代の確定されていない[弾圧や暴力の]実行者たちにも調査の手を伸ばすことを願っている。
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( 翻訳者:能勢美紀 )
( 記事ID:24612 )