Aslı Aydıntaşbaşコラム:首相のデルスィム謝罪はよい、しかし…
2011年11月24日付 Milliyet 紙

トルコ人は、謝罪することを好まない。個人的にも、社会的にも。常に言い訳を考える。
「やったのは我々だが、彼らも刺した」「私が銃を引いたが、彼も(私を)傷つけた」のように。
いつでも、他人を責める口実を見つけることにおいて、我々の上を行く者はいない。
このためエルドアン首相が昨日デルスィム(での出来事)について党の会派会議で「もし、国家の名の下に謝罪することが必要なら、そして、それに必要なだけの証拠書類があるなら、私が謝罪しよう」と述べたことに私は拍手を送る。

デルスィムで1937~38年に反乱を鎮圧するために行われた掃討作戦で、1万3千人が死亡したと言われており、その数は少なくない。この大部分は、無実の人々である。
たとえ公正発展党(AKP)のデルスィムへの熱意が、共和民主党(CHP)の頑固なケマリストたちの気持ちをくすぐり、デルスィムで被害を受けた一家の子供であるケマル・クルチダルオールを困難な状況に陥れ、さらに、その地位を脅かすためだとしても、ここで国のトップとして首相が歴史と向き合う努力をすることは、勇気がいることであり、貴重である。

タイイプ・エルドアン首相を賞賛するが・・・AKPが、「司法から、軍から、アレヴィー派を一掃する」というスローガンで国民投票や総選挙の期間中、密かにアレヴィー派に対し、軽視できないほどの差別をしていたことも思い出してもらいたい。この言葉を聞いたのは、CHPからだけではない。私自身が目撃した。民族主義者行動党(MHP)やAKPからも聞いた。
特に内陸アナトリアや南東部で、国や司法におけるアレヴィー派の影響力は実際よりも何倍も誇張して示され、対立感情を引き起こすまでに至った。選挙の場で述べられる言葉や党地方組織のプロパガンダ活動、AKP寄りのメディアで広くCHPや平和民主党(BDP)や高等司法機関に向けて行われたキャンペーンでは、アレヴィー派が標的にされた。この期間中に書かれた記事の一部は、憎悪犯罪にあたるような性質のものだった。このことに関しては、多くの記事や発言を挙げることができるが、やめておく。

エルドアン首相にお願いがある。デルスィムで見せた気遣いを、アレヴィー派に対しても見せ、(彼らに向けられる)「憎悪の言葉」に歯止めをかけるための一歩を踏み出してもらいたい。
「見てみなさい、テロリストの遺体はジェム・エヴィ(アレヴィー派の礼拝所)によって埋葬された」というような報道から、「司法の、軍の中の、この人やあの人が実はアレヴィー派」といったような報道まで、アレヴィー派に対する間違った言葉が蔓延している。実際には、アレヴィー派が国や司法において大きな比重を占めていたり、報道されているほどの力を持っていたりするわけでもないのに。
エルドアン首相は、デルスィムの問題に手をつけたのだから、この際、AKP寄りのメディアのその憎悪の言葉にも歯止めをかけてくれたら・・・。


■裁判所の入口で

火曜日、私は、チャーラヤンに新設され綺麗に塗装された裁判所で、ネディム、アフメト、ソネル、そしてOda TV裁判で拘束された他の記者たちの公判が行われた法廷に入ることができた数人の記者のうちの一人だった。
こんなことはあってはならない!つい昨日まで記者として働き、あれこれと自分の考えを紙面に反映させることで生活をしていた、知っていたり、好きだったり、好きではないが記事を読んだことのある人、或いは存在すら知らなかった同業者たちが、「テロ組織」の一員であるという理由で裁判にかけられていたのだ。

裁判官たちは、後ろで裁判を傍聴する人たちが、被告の記者たちと話さないように、間に軍警察官たちを並ばせた。彼らはテロリスト、我々は記者、彼らは夜にはスィリヴリ(の刑務所)へ、我々は街へ。

2011年のトルコでこのような光景を目にしていることが恥ずかしくなった。

昨日おそらく新聞でアフメト・シュク氏の弁護士であるアクン・アタライ氏の「本当に、アフメト・シュクが、ソネル・ヤルチュンや他の誰かの勧めで恋愛小説や「ドストエフスキーの世界的位置づけ」という著書を書いていたら、要するに、問題の著書の内容が異なるものだったら、それでも裁判にかけられていただろうか?」という発言を目にされたでしょう。
私は、ジェラル・ウルゲン氏(注:Oda TV裁判の被告側弁護士)と共に働いている若い弁護士、ヒュセイン・エルソズ氏の言葉に釘付けになってしまった:「この記者たちが自由になるために、すぐに解放されなければならない。トルコで一から思想の自由が築かれるのにまだ遅くはない。」
遅すぎはしないが、時間はなくなっていく。

この裁判やこの起訴状は、そして常軌を逸したものとしてみなされうるヤルチュン・キュチュク(あのヤルチュン・キュチュク!) が統括する「武装テロ組織」があったという空想は、民主主義的文化に慣れ親しんだ誰をも納得させることはできない。
裁判所で、拘束されている記者たちが、道徳的で強い意志を持っていることが分かった。特にアフメトは、とてもいい笑顔だった。出て行くときにも、「我々は戻ってくる」と叫んでいた。
しかし、外にいた拘束されていない記者たちの困惑、恐怖は、民主主義文化を支持することと、新車を購入することの間の(理想と現実の間での)戸惑いは、心に矛盾を生じさせている。

あなた方は、彼らの考え方に賛同できないかもしれない。(彼らの)報道は向こう見ずなもので、その情報源は間違っていると思うかもしれない。彼らのスタンスや、個人的な電話でのあなた方に関するうわさ話には悪意があり、(それゆえあなた方の)政治的地位を回復することはできるかもしれない。(彼らの)友人やその結びつきが気に入らないかもしれない。(彼らが)あなた方を中傷し、傷つけたかもしれない。
しかし、考えをまとめ、記事を書き、罪悪感や善意を持ってこの仕事をしている人たちは、記者であり、テロリストではない。

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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:24636 )