「デルスィムの悲劇」に政府として謝罪―エルドアン首相
2011年11月24日付 Radikal 紙


エルドアン首相は、昨日、「デルスィムの悲劇」(注1)に関し、謝罪した。次は、この謝罪をうけ、法的な措置がとられるかどうかが、関心の的となっている。

トルコ史上はじめて、社会的な悲劇に関する謝罪が行われた。レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、昨日、党の県代表会議での演説で、デルスィムでおきた事件に関し、「もし、国家の名の下に謝罪することが必要なら、そして、それに必要なだけの証拠書類があるなら、私が謝罪しよう。今、謝罪する」と述べた。しかし、これに続いて首相は、共和人民党(CHP)のクルチダルオール党首への呼掛けも怠らなかった。
「CHP精神の名のもとに謝罪の必要があるなら、そして、そもそも、『自分は新しいCHPの新しい党首だ』というなら、さらにには、『トゥンジェリ出身の、つまり、デルスィム出身の人間として、誇りを感じる』というなら、さっさとその誇りを傷つけないように(謝罪)してみてはどうなんだ」と述べた。
エルドアン首相は、(CHP批判を続けている)公正発展党のメフメト・メティネル議員にも、「メフメト君、この件はもうこれくらいにしておきなさい」と忠告した。

エルドアン首相は、当時の目撃証人の証言を収めた書籍や、とくにネジプ・ファズル著の『現代の宗教弾圧』という本から多数の引用を行った。首相は、デルスィム事件の象徴であるサイト・ルザーを、特に追悼した。
「当時のマラトゥヤ警察署長のイフサン・サブリ・チャーラヤンギルは、あるインタビューで次のように語っている。『サイト・ルザーは、広場にまるで人が一杯いるかのように、誰もいない沈黙にむかって演説をした。(アラビア語で)Evlad-ı Kerbelayıkh, bihatayıkh、つまり我々はカルバラーの子供たちだ(注2)、と。我々は無実だ。これは恥ずかしいことだ、暴挙であり、殺人だ、と。』エルドアン首相は、演説のなかで、いくつかの公文書も示した。(後略)

訳者注1:共和人民党一党支配時代の1937年に、デルスィム(現在のトゥンジェリ)で起きたアレヴィー派クルド系住民に対する大量殺戮事件。
訳者注2:第4代カリフ・アリーの子フサインがウマイヤ朝カリフに殺された事件。シーア派にとって、もっとも重要とされる出来事とされる。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:24638 )