ヴァチカン図書館蔵エヴリヤ・チェレビーのナイル川地図、報道陣に初公開
2011年11月23日付 Radikal 紙


エヴリヤ・チェレビーの旅行メモに基づいた、また彼の監修のもとで製作されたことが史料的に裏付けられているナイル地図が、バチカン図書館文書館に保存されている。この地図が、初めてトルコ報道陣の閲覧のために公開された。

およそ10年間、バチカンの文書館で研究を続けてきたトルコ司教評議会(Türkiye Piskoposlar Konferansı)のスポークスマンで、研究者・作家のリナルド・マルマラ氏の働きかけにより、3人のトルコ人記者がバチカン図書館(Biblioteca Apostolica)の文書館に入館した。この訪問にはトルコのバチカン大使ケナン・ギュルソイ教授、テヴェレ研究所所長のムスタファ・ジェナプ・アイドゥン氏も参加しており、ドアン通信社(DHA)の特派員も加わっていた。同図書館は特別許可がなければ立ち入ることができず、今回の訪問は東方資料担当者のデリオ・プロヴェルビオ氏が同行することで実現した。ギュルソイ大使は、1586年に建設され、現在修復中の新館(Nuova Biblioteca)を見学し、ニカエア公会議とコンスタンティノポリス公会議の描かれたフレスコ画を調査した。

■500年前の『デデ・コルクトの書』

プロヴェルビオ氏はその後、トルコ人の訪問者たちを何点かのトルコ語資料が収蔵されている文書館の一セクションへと案内した。プロヴェルビオ氏は『デデ・コルクトの書』の写本を見せた。『デデ・コルクトの書』写本は、12話を含む第一写本がドレスデン図書館に収蔵されており、6話を含む第二写本がバチカンで保管されている。デリオ・プロヴェルビオ氏によると、この写本は「ハーンの子ボガチ・ハーンの物語」「バムス・ベイレキの物語」「サルル・カザンの幕舎が掠奪された物語」「カザン・ベグの子ウルズ・ハーンが虜囚となった物語」「カズルク・コジャの子イェゲネキ・ベイの物語」「内オグズに外オグズが叛いてベイレキが死んだ物語」を含んでおり、その歴史は15世紀まで遡るという。トルコ人の訪問者たちはさらに、15世紀のオスマン帝国に生きた詩人・著述家のウズン・フィルデヴスィー(フィルデヴスィ・ルーミー)が著した『大いなるチェスの書』(Satrançname-i Kebir)という写本も目にする機会を得た。

■エヴリヤ・チェレビー「ナイル川地図」初めて報道陣の前に

その後、17世紀の有名な旅行家エヴリヤ・チェレビーの「ナイル川地図」を所蔵棚から取り出したプロヴェルビオ氏は、「バチカン文書館の歴史上初めて、報道陣がこの地図を見たということになるでしょう」と述べた。大使と他の訪問者たちは地図を注意深く調査した。地図は6メートルの長さがあるが、プロヴェルビオ氏は損傷を受けないよう、うち1.5メートルの部分のみを開いた。この地図がどのようにバチカン文書館にもたらされたかははっきりとわかっていないが、エヴリヤ・チェレビーの旅行メモに基づいており、その監修下で編さんされたことは記録から確認されている。このナイル地図は、チェレビーに関する記録として、『旅行記』に次いで最も重要なものであるとみなされている。

■地図修復のためスポンサー求む

短い文書館訪問の後、ケナン・ギュルソイ大使は報道陣と談話し、たいへん素晴らしい資料を閲覧する機会を得たと述べ、「その中にはエヴリヤ・チェレビーが製作に関わり、自身の見解を盛り込み、注釈を記したナイル地図もありました。おそらく、私たちはこれを目にした最初の人間でしょう」と述べた。ギュルソイ氏は、私たちに関係する資料を注意深く保存していく必要があると述べ、「この地図が現在バチカンにあるからといってがっかりしてはいけません。私たちは自分たちが持っているものをよく守り、それらを注意深く扱っていくことが必要です。ナイル地図はおそらく修復が必要です。トルコにいらっしゃる多くの慈善家のスポンサー方が、文化のための援助を行ってくださるでしょう。そしてこの二つと存在しない、歴史的価値の計り知れない地図を修復し、さらにユネスコが“エヴリヤ・チェレビー年”と宣言しているこの年に相応しい貢献を果たしてくださるものと思います」と呼びかけた。ケナン・ギュルソイ氏は、これは簡単なことではないと付け加え、「私たちの中におられる、多くの慈善家の、資産を持つ方々がこの仕事にご援助くださるものと思います。これはさらにトルコ・バチカン関係の点からも、トルコ共和国がバチカン図書館のために行う貢献という点からも、私たちにとって助けとなるものであります」と述べた。

ギュルソイ氏はさらに、質問の一つに答える形で、地図がトルコに持ち帰られるべきかどうかという問題について、トルコとしていかなる要求も行っておらず、そのようなことは議論されていないとも述べた。

■なぜ地図はバチカンにあるのか?

エヴリヤ・チェレビーが1672~73年に行ったナイル旅行の後、編さんされた地図は、18世紀に『旅行記』がイスタンブルに持ち込まれた頃、カイロからバチカンに運ばれてきたことがわかっている。粗い布の上に描かれた地図の長さは6メートル、幅は上が88センチ、下が45センチメートルである。200年以上、バチカンに保存されていた地図の上部にはナイル川の水源が、下部にはナイル・デルタが描かれている。エヴリヤ・チェレビー『旅行記』の第10巻に現れる記述が、この地図の中にもはっきりと記載されている。

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( 翻訳者:森 天真 )
( 記事ID:24680 )