シリア人女優ファドワ・スライマーン:「通りで体制打倒を叫ぶ人を探し求めて」
2011年12月13日付 al-Quds al-Arabi 紙
■シリア人女優ファドワ・スライマーン:「通りで体制打倒を叫ぶ人を探し求めて」
2011年12月13日『クドゥス・アラビー』紙
【ベイルート:AFP】
舞台やテレビ、映画で活躍するシリア人女優であるファドワ・スライマーンさんが彼女の国の人々の苦闘に加わることを決めてから、通りでのデモや葬儀行列、追悼集会に参加し、初めはダマスカスやその他の都市、そしてついにヒムスでも彼女の姿が見られるようになった。
どの時点、あるいはどんな観点、イメージをもってデモで運動、また参加することを決めたのかという質問に、彼女はAFPに対してこう語った。
「ダルアーでの子供たちの逮捕、拷問が行われて以来、私は通りに立って抗議する人々を探すようになったが、私が見たのは体制のために叫ぶ人だった。その残忍性で子供たちを逮捕し拷問することを容認する体制は私の人生で他に聞いたことがなかった。それから蜂起した人々と出会い、平和的な市民デモ行進を首都ダマスカスの中心で始めた。」
同氏のデモへの参加はYoutubeのサイトに投稿された多くの動画で流された。衛星放送でも繰り返し放映され、すぐに強い関心が彼女に寄せられた。
彼女はダマスカスにある舞台芸術高等研究所を卒業し、多くの舞台、テレビ、映画作品や子供の活動に貢献した。
その直後直面した嫌がらせに関して「ダマスカスの地域で何度も活動をした。ダルアーでも。治安当局の監視にもさらされたが、逃げるしか術がなかった。」と述べた。
アラウィー派に属する同氏は「私が群集のなかに姿を現すことにしたのは、文化人と全ての派閥の人間が、革命はサラフィー主義やイスラーム主義であるとする体制の批判を明らかにし、加えて革命は独裁主義と一党独裁政治の終焉、自由と権利の回復、市民民主主義国家の構築を夢見るすべてのシリア人たちのためであることを明らかにしなければならないとの信念のためである。」と強調した。
シリア海岸部の町出身の彼女は、ヒムスに波及したデモに最終的に姿を見せ、ヒムスにおいて体制が企てている宗派扇動を回避するために、参加を決意した。体制は、人々が宗派闘争を始めるように仕向け、(その結果)市民の平和の保護の名の下に体制がその存続を正当化しようとしていたものである、と付け加えた。
スライマーン氏は「私はいかなる政党や集団、潮流にも属さない。こういうわけで、私の政治的な活動は目新しいかも知れない。」と強調したが、しかし、また調子を変えて以下のように述べた。「私の仕事は目新しくないとも言える。というのは、演劇の仕事を通じた私の姿勢は政治、思想、芸術、生命、人間と直接関係があるからだ。」
「国の芸術機関、または民間機関に対する私の姿勢は、政治的なものであった。私は常に既存の機関の政策の腐敗や盗み、贔屓、精神や治安当局への服従を秘密裏または公に批判してきた。」と言い添えた。
私の立場はいつも反体制のそれであった。皆が知っているように、いずれにせよ、反体制の立場であることのために、仕事から遠ざけられていた。
シリア人女優ファドワ・スライマーンの最後の舞台は2008年のダマスカスにおいてのもので、ボスニア人作家リディア・シャルマン・フダックの『マリアの声』と題する一人芝居であった。この芝居は戦争と敵による暴行、妊娠、そして出産を扱うが、この出産は赤ん坊の誕生以上に、敵からの「恥辱」の誕生という意味を持つ。
このような役を演じた彼女の演技力は素晴らしいもので、このことに関して彼女は「私は痛ましい場面を再現するために記憶力を使う。そのなかでも最も多いのはこの中東で起こっている出来事である。」と説明した。そして「私は視覚的なイメージの多くを脳裏に焼き付けようとした。ムハンマド・アッ=ドゥッラの場面からは父親がどのようにその手を振り、その指を動かしたか、子供が死んだときどのようにその頭を動かしたか、ということを借用した。また、第一回目のカーナの虐殺の場面からは、3人の子供を抱える男のイメージとどのように死体の間を歩き回ったのかということを借用した。」
彼女のデモへの参加が人々にどのような影響を残したかということに関して、彼女は「私と人々はお互いに影響を及ぼしあった。なぜなら彼らは私の魂のなかの愛に触れ、暴力を拒絶し、既存の利害中心の如何なる政策をも否定した。
彼らは私の周りに集まり、私は彼らの周りに集まり、一致団結し、彼らは私に応え、私は彼らの痛みや平和を求める声、そして彼らの声を世界に届ける人間を必要とする彼らに応えた。」
そしてこう言って締めくくった。「デモに登場すると彼らはすべての愛をもって私の周りに集る。私の安全と保護への彼らの思いは、私の命と安全を心配する彼らの心から来ている。それは私が彼らの心のシンボルとなったからである。彼らは私の名を叫び、私の庇護のために神に祈り、私の目指すことに応えてくれる。」
そしてこう言って締めくくった。「デモに登場すると彼らはすべての愛をもって私の周りに集まり、私の命や安全のために彼らの恐怖心をも超えて私の安全のための保護と防衛にあたってくれる。それは私が彼らの心のシンボルとなったからである。彼らは私の名を叫び、私の庇護のために神に祈り、私の目指すことに応えてくれる。」
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( 翻訳者:袖山結生 )
( 記事ID:24837 )