アタテュルク文化・言語・歴史高等協会理事に驚きの人選―ザマン紙系保守派中心
2011年12月22日付 Milliyet 紙

ギュル大統領は、アタテュルク文化・言語・歴史高等協会委員選定において、その見解で物議をかもしてきた保守的な人物への指名を行った。

アブドゥッラー・ギュル大統領は、アタテュルク文化・言語・歴史高等協会高等協議委員会と役員会の委員選定において、いくつかの問題でしばしば物議をかもす態度をとったことで知られる保守派の学者を含む委員の人選を行った。トルコ軍から追放処分を受けたことのあるイスケンデル・パラ博士と、「アポ(アブドゥッラー・オジャラン)を軍の司令官にすればいい」という発言で物議をかもしたムムタゼル・チュルクオネ博士は、高等協会役員会委員になった。選出されたただ一人の女性アイシェ・アヤタ氏は社会民主主義者である。

大統領府から昨日発せられ発表で、ギュル大統領は、アタテュルク文化・言語・歴史高等協会高等協議委員会委員に、アルパルスラン・アチュクゲンチ博士、アイシェ・アヤタ博士、ネジャッティ・ポラト博士を、役員会委員にはムムタゼル・チュルクオネ博士、イスケンデル・パラ博士を選出した。高等協会の委員に選出されたチュルクオネ博士とパラ博士は現在、ザマン新聞のコラムニストである。また、ポラト博士も以前にこの新聞のコラムニストをつとめていた。新委員の特徴をまとめると以下のようになる。

■アルパルスラン・アチュクゲンチ氏

『『光の書(リサレイ・ヌール)』における知の概念』を含む多数の出版と著書がある。アチュクゲンチ氏はトルコ宗教財団刊行のイスラム百科事典で「サイード・ヌルスィー」の項を執筆した。

■アイシェ・アヤタ氏

社会民主主義者として知られるアヤタ氏は、中東工科大学経済経営学部で教員として勤務している。「キプロス平和軍事作戦」の時に外務大臣を務めていたトゥルマン・ギュネシュ氏の娘である。「キプロス平和軍事作戦」は、当時のビュレント・エジェビト首相とトゥルマン・ギュネシュ大臣の間で「アイシェに休暇を」という合言葉のもとで始められたというエピソードがある。

■ネジャッティ・ポラト氏

中東工科大学国際関係学科の教員である。ポラト氏は、アタテュルクを「ある男」と発言したために裁判所によって有罪とされたガーズィー大学教員アッティラ・ヤイラ氏を支援するために行われたキャンペーンに署名した。以前ザマン紙コラムニストをつとめ、ミッリー・ガゼテ紙では文化芸術分野の主幹であった。

■ムムタゼル・チュルクオネ氏

1980年以前、(民族派右派の)「希望の炉(ウリュキュ・オジャウ)」組織でアブドゥッラー・チャトル氏とともに中核的職務についていた。首相府勤務時代は、タンス・チルレル首相に多大な影響力を持つ顧問であった。アッティラ・ヤイラ氏支援のためのキャンペーンにも参加した。現在ザマン紙のコラムニストであるチュルクオネ氏は、「アポ(アブドゥッラー・オジャラン)を軍の司令官にすればいい。オスマン的な精神でことにあたるなら、彼を、(リゾート地の)ボドルムのチュルクブクに送ることを提案する」という言葉で物議をかもした。

■イスケンダル・パラ氏

ザマン紙コラムニスト。オスマン詩分野でのアカデミックな活動のほか、文学的な本の著作でも知られる。職歴は、将校として軍学校で教員を始めたことにはじまる。少佐の位階にあった時、「復古主義的」活動を行ったという理由で高等軍事評議会の決定により、軍を除隊させられた。トルコ軍から追放された後、大学にうつった。

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( 翻訳者:藤井彩香 )
( 記事ID:24907 )