イラン人がイギリスを嫌いなわけ
2011年11月30日付 Jam-e Jam 紙


【ジャーメジャムオンライン】イギリス人ジャーナリストは「〔イギリスによる対イラン〕制裁は、イラン人のイギリス嫌悪の理由のひとつでしかない」と述べた。

 ロバート・フィスク〔※1〕はこのように記した上で、イラン=イギリス関係の歴史について、次のような指摘を行っている。

※以下は、ロバート・フィスク氏が英インディペンダント紙に寄稿した英語でのコラムをペルシア語に訳したものである。原文はここで読むことができる

 イギリス人に対するイラン人の嫌悪は、より深い歴史的起源をもつ。イラン人がイラン=イギリス関係の歴史をイギリス人より理解していることは、驚くべき皮肉である。

 革命後にイランで新設されたイスラーム指導省が、イラン駐在のロイター通信記者のハーヴェイ・モリス〔※2〕にロイター通信の沿革について尋ねた時、この記者はロンドンのオフィスにフォン・ロイター男爵〔※3〕の伝記を送るよう求めた。そして世界最大の通信社の創設者が莫大な利益を得て、イランに鉄道を敷いたと知った時〔※4〕、彼もまた驚愕してこう叫んだという。「私はどのようにしてこのことを、貴省にお示しすればいいのだろうか。男爵は呪われし王〔=モハンマド・レザー・シャー〕よりも悪人だったのだ」。当然、このことは指導省にとっても周知の事実であった。

 イギリスはソ連軍と協力して、イランへの侵攻を行った。その時はちょうど第二次世界大戦中で、モハンマド・レザー・シャーの父親(レザー・シャー)がナチスに限度を超えて近づいていた時期だった。イギリスはその後の1953年には、イランの石油資源の国有化を宣言した、民主的に選ばれたモハンマド・モサッデグ政権を転覆するために、アメリカと協力した。

 これらの出来事はどれも作り話などではなく、すべて100%本物の陰謀だった。

 CIAはこの作戦を「アジャックス(AJAX)」と命名した。イギリス人たちは狡猾にも自らの願望を抑制して、この作戦名を「ブーツ作戦」と命名した。

 テヘランにおけるMI6の諜報員は、モンティー・ウッドハウス〔※5〕大佐という人物だった。彼はかつてドイツ占領下のギリシアで、我々の「特別作戦部(Special Operations Executive)〔※6〕」にいた人物である。私はモンティーをよく識っている。私が元国連事務総長(クルト・ヴァルトハイム〔※7〕)の第二次世界大戦中の任務について調査していた時、互いに協力し合ったことがあったからだ。彼は大胆不敵な人間だった。

 ウッドハウスは、未だにその存在を示すような痕跡など見つからない、イランにおける「抵抗」〔=モサッデグに対する架空の抵抗運動〕を支援するために、イランに武器を送っていた。彼は、テヘランでモサッデグ政権に対するデモを引き起こす目的で同市のバーザール商人たちを金銭的に支援するという、CIAの計画に協力した(この計画で数百名あるいは数千名が亡くなったといわれている)。

 これらの計画は成功した。モサッデグは逮捕され、若き王〔=モハンマド・レザー・シャー〕は勝ち誇って帰国し、秘密警察SAVAKという忠実な組織を用いて自らの主権を〔イラン国民に〕強要した。

 SAVAKはシャー体制に反対する女性たちへの拷問の様子を、完璧な形で映像に残していた。エジプトの偉大なジャーナリストのハサネイン・ヘイカル〔※7〕が信じていた通り、CIAの幹部らはそれを教本として世界中のアメリカの同盟国〔の秘密警察〕に渡していたのだ。イラン人はこうしたことのすべてを、どのように想起するだろうか。

 イラン人たちがアメリカ大使館を襲撃した後に手にした膨大な機密情報は、アーヤトッラー・ホメイニー新体制転覆に向けたアメリカ政府の試みを暴いただけでなく、アメリカとイギリスの諜報機関の長きにわたる結託をも白日の下にさらしたのである。




訳注1:ロバート・フィスク(Robert Fisk)は、イギリスの作家でジャーナリスト。イラク戦争やアフガン戦争に関する著作がある。

訳注2:ハーヴェイ・モリス(Harvey Morris)は、イギリスのジャーナリストで1979年から1980年にかけてロイター通信社テヘラン事務所局長を務めた。湾岸戦争に関する著書がある。

訳注3:ポール・ジュリウス・ロイター(Paul Julius Reuter)は、ロイター通信の創設者で男爵(バロン)の爵位を受けている。彼は1872年にガージャール朝から「ロイター利権」を獲得し、これによってイギリスはイランにおける鉄道利権を含む、銀行設立、税関管理、電信、鉱山・森林開発、インフラ設置等の利権を手にした。

訳注4:ロイター利権はあまりに広範囲に及ぶ利権だったため、その後破棄される。当然、ロイターによるイランでの鉄道敷設も行われず、1910年までイランでは鉄道の敷設は行われていない。よって、ロイターが莫大な利益を得て鉄道敷設を行ったというここの記述は誤っている。なお、ロイターは1889年にペルシア帝国銀行を設立し、イランでの紙幣発行権を独占している。

訳注5:モンティー・ウッドハウス(Monty Woodhouse もしくはChristopher Montague Woodhouse)は、ギリシアでのレジスタンス支援の任務後、テヘランでモサッデグ政権の転覆に関与した。退役後は1959年から国会議員も務めた。

訳注6:特別作戦部(Special Operations Executive)は第二次世界大戦中にイギリス首相ウィンストン・チャーチルによって設立された組織で、枢軸国に抵抗するレジスタンスを財政的に支援することでレジスタンス活動を活発化させることを目的とした。

訳注7:クルト・ヴァルトハイム(Kurt Josef Waldheim)は、オーストリアの政治家で1972年から1981年まで第4代国連事務総長を務めた。大統領選の際、第二次世界大戦中にナチスの突撃隊に所属していたことが発覚したが、当選して1986年から1992年までオーストリア大統領を務めた。

訳注8:ハサネイン・ヘイカル(Mohamed Hassanein Heikal)は、エジプトのジャーナリストで、エジプトの日刊紙アル=アハラームの編集長を務めた。

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( 翻訳者:8410068 )
( 記事ID:24912 )