「まともな人間なら煙突ではなく玄関から入る」―ケシャン県ムフティ、サンタクロースを「批判」
2011年12月27日付 Radikal 紙

ケシャン県のムフティ、スレイマン・イェニチェリ氏は、「サンタクロースなどという人物はいない。聖ニコラウスという人物がいたとされるが、それだって適当だ。サンタクロースは煙突か窓から入ってくる。しかし、もしまっとうな人物だったら、玄関から入ってくる」と述べた。

新年のばか騒ぎ(大みそかの夜のパーティ)は我々の文化に無かったという意見を主張するムフティのイェニチェリ氏は、「誰かが誰かに似せようとするなら、その者はそれらの者の一人となる」というハディースを引用した。新年には過去の日々の清算がなされなければならないと述べるケシャン県のムフティ、スレイマン・イェニチェリ氏は、次のように述べた。

「キリスト教に由来する催しを我々が祝えば、我々は自分らを彼らに似せようとしたことになる。すると彼らのように暮らすことになる。我々が、どうして彼らの真似をしなくてはいけないのか?彼らは我々のまねをしているだろうか?我々はクリスマスをキリスト教世界から持ち込んでしまった。クリスマスは我々の祝祭ではない。人々が『キリスト教徒のように暮らそう』と言うなら、これは危険なことである。しかし、『国中が楽しんでいる、私も楽しもう』と言うなら、どのように楽しむかによっても変わる。もし、酒やワインを飲んで楽しもうというなら、それは罪だ。」

ムフティのスレイマン・イェニチェリ氏は、「サンタクロース」という人物はおらず、聖ニコラウスも創造された人物であり、伝説上のものであると述べた。イェニチェリ氏はこう述べた。
「サンタクロースが実在したか、していなかったかは明らかでない。ある場所が示され、そこに実在したと言われている。しかしキリスト教世界が生み出した人物像である。サンタクロースは煙突と窓から入る。しかしまともで誠実な人間なら玄関から入ったはずだ。我々は玄関から出入りしているではないか。素晴らしきコーランには、『家には玄関から入るように』とある。どうして煙突から入ってくるのか?」

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( 翻訳者:吉岡春菜 )
( 記事ID:24980 )