タイ・バンコクのモスクにオスマン帝国紋章が
2011年12月27日付 Zaman 紙


3つの大陸で600年間統治を続けたオスマン帝国の世界に広がった痕跡が明らかになり続けている。ムスリム人口も多いタイの首都バンコクの郊外にあるバン・ウトゥヒット・モスクで、オスマン帝国の紋章が見つかった。複合施設群のなかの学校として現在教育をに使われているモスクでは、一日5回、エザン(アザーン)が詠まれている。

南アジアの国タイは、特有の歴史、文化をもち、そして多くの仏教徒のほかに、多数のムスリム人口の受け皿となっている。タイの首都バンコクには約55のモスクがあることが記録されている。バンコクの郊外ジャラン・クルン地域の裏通りにある1916年に建設されたモスクには、オスマン帝国の紋章がある。

歴史上の記録によると、タイは直接オスマン帝国の影響があったわけではないが、それにも関わらず100年間の歴史をもつバン・ウトゥヒット・モスクの入り口には巨大なオスマン帝国の紋章があしらわれている 。オスマン帝国の崩壊期にあたるスルタン・アブドゥルハミト2世の退位から7年後に建てられたモスクにある「崇高なるオスマン帝国」の紋章には面白い物語がある 。

スルタン・アブドゥルハミト2世は、世界のムスリム達をカリフの傘下で一つにまとめるというオスマン帝国の政策の一環として、全世界のムスリム達のもとに知識人を送ってオスマン帝国とカリフ制を説明した。

バン・ウトゥヒット・モスクに通う信者や周辺のムスリム達の話によると 、当時シャム王国で暮らしていたムスリム達はイスラームとカリフへの臣従を表明するために、カリフのアブドゥルハミト2世に対し紋章を送ってくれるよう要請したのだという。

この要請に応え、オスマン帝国がシャム王国のムスリム達に彼らが作る際の見本となるよう、オスマン帝国の紋章を送ったという。紋章が届いたのち、この国のムスリム達は、新たに建設されるモスクの入り口の各ドアに、この紋章の複製を飾ると言う習慣をはじめ、カリフへの臣従を表現したといわれている。

オスマン帝国の崩壊とカリフ制が終焉を迎えたあと、タイのムスリム達はこのやり方に終止符を打ったといわれている。

2009年に行われたタイの独立研究組織ピュー研究センターの研究によると、タイには400万のムスリムがいるとされている。一方、何人かの科学者たちによる、この数は8百万から1千万の間だという説もある。

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( 翻訳者:門野淑香 )
( 記事ID:24983 )