80年クーデター首謀のケナン・エヴレン元大統領に終身刑、求刑へ
2012年01月04日付 Hurriyet 紙

アンカラ共和国主席検察特別捜査局は、1980年9月12日の軍事クーデターに関する捜査を終了した。アンカラ共和国主席検事補のヒュセイン・ギョルシェン氏 は、昨日の朝受け取った起訴状を裁判所へ提出した。起訴状では、当時の参謀総長、第7代ケナン・エヴレン大統領、タフシン・シャヒーンカヤ空軍大将へ「終身刑」が求刑された。

1980年9クーデター首謀のエヴレン元大統領とシャヒーンカヤ空軍大将へ捜査担当検事は12の質問をした。昨日起訴状の電子ファイルが配信された。起訴状はアンカラにある二つの特別裁判所のうち、第12重罪裁判所へ提出された。

ギョルシェン主席検事補は、「エヴレン元大統領とシャヒーンカヤ元空軍大将について、犯行当時施行されていた旧トルコ刑法第146条と80条を適用して終身刑を求刑した。事情聴取は私が開始した。主席検事補への任命後、ケマル・チェティン共和国検事が引き継ぎ起訴状を準備した」と述べた。ギョルシェン主席検事補は、すでに死亡している当時のヌレティン・エルスィン陸軍司令官、ネジャト・トュメル海軍副司令長官、セダト・ジェラスン刑務所司令官については不起訴処分になったとした。

■「時効は成立しなかった」

ギョルシェン主席検事補は、起訴状が80ページにも及ぶことを明らかにし、「検察としては時効は成立していないと考えている。また、拷問容疑で別の調査が行われている。これはクーデターを首謀した5人についてのみ行われている調査だ」と述べた。同主席検事補は、1983年 9月12日までを犯行時期と捉えているとし、「ひとつは1980年9月12日から現在まで、もうひとつは検察官の起訴状によると1980年1月2日に覚書、警告書が出されている。このことを勘案した。警告書が出された1980年1月2日、この他に1980年9月12日からトルコ大国民議会議長理事会が発足した 1983年12月6日までの期間である。つまり、ケマル氏を有罪としたのはこのような経緯である」と続けた。

■第12重罪裁判所で審理

同検事補は、国家司法ネットワークシステム(UYAP)を通じて起訴状を認めた。また、今後UYAPによって起訴状がアンカラ第12重罪裁判所へ送られ、 そして起訴状が審査を受け2012/1という番号を付されてたとした。また同主席検事補は、刑事裁判法(CMK)第29条にしたがってエヴレン元大統領とシャヒーンカヤ空軍大将両名を司法の監視下に置くよう要請したとした。この問題では裁判所が判断を下すことになるとし、「裁判所の判断次第だ。出国禁止となるかもしれない」と述べた。起訴状の受理には15日間調査期間を要する。

■マラシュ、シヴァス、チョルム

ケマル・チェティン検察官は、ケナン・エヴレン元大統領とタフシン・シャヒーンカヤ空軍大将の「トルコ共和国憲法とこれに基づいて設けたトルコ大国民議会を転覆あるいはその職務遂行の妨害を強制的に企んだ」という罪を適用すると述べた。検察官は、起訴状で両容疑者が上記の罪を犯したとしている。

■クーデター実施できる状況を醸成した

起訴状冒頭でクーデターを実施できる状況を醸成した理由を列挙したケマル・チェティン検察官は、マラシュ、シヴァス、チョルム事件をクーデターと関連づけた。両容疑者が、クーデターを実施できる状況を醸成しようとこの事件に介入せず、トルコ国軍(TSK)の(事件介入への)任務遂行を妨害したとして、旧トルコ刑法第146条最高刑の終身刑が求刑された。検察官はこの証 拠としてエヴレン元大統領が「機が熟すのを待っていた」と述べたことを挙げた。起訴状では前述の容疑者達がクーデター実行を以前から決めていたこと、クーデターが人々の目に合法と映るよう混乱状態に意図的に介入せず、機会をうかがっていたとされている。

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( 翻訳者:榎本有紗 )
( 記事ID:25072 )