イスラエル報道:「沈黙こそ最良」
2012年01月12日付 al-Quds al-Arabi 紙

■イスラエル報道:「沈黙こそ最良」

2012年1月12日『クドゥス・アラビー』

【同日付イスラエルTODAYより訳出:ダン・マルグリット】 

イランの原子力計画によって人が殺されるたびに、イスラエルは驚愕をもって登場する。サーチライトは、誰が暗殺を実行したかを知るために、世界のメディアの中の糸の一端を探る。そしてアメリカやヨーロッパの報道官たちが「彼らの政府はその作戦に関与していなかった。」というだけのわずかな報道に満足するだけで、それ以上のものではない

イスラエルではそのようなことはない。イスラエルの政治家や報道官たちは、テヘランでの暗殺作戦に彼らが全く関与していないと発表するだけではない。それに加えて、ウィンクと話の演出を行って、「悪魔に仕えているイラン人の死に対し、彼らは涙の一滴も流していない。」言うのである。

世界中で、イスラエルの涙腺に関心を持っている者は、あたかも公式の地位にある者のようだ。そして、この者は自身を統御する能力をゼロとみなすのである。これは、子どもじみている。

熱情的な者に言及すれば、運命的な命令に対して思慮に欠ける。公式の立場のイスラエル人たちは沈黙していなければならない。たとえイスラエルがこの良い作戦に関与していたとしても、いなかったとしても、である。自身が確信を持っていることは、真実に語らせることである。

“フェイスブック”は必要とされていない。破壊者やテロリストたちが必要としているのは、声高の宣伝である。それは、テロリストたち以外の人々は彼らの行為に気づかないだろうからである。そういうものは主権国家ではないということである。

心に浮かぶのは、アーヤトゥッラーは途方にくれているということである。イスラエルが[イランの]科学者殺害に関与していないと信じる人もいる。しかし、イラン政府に対し、ラテンアメリカで約20年前に行ったように、ユダヤ諸機関を粉砕する機会が提供された。また、その一方で、原子力の専門家を負傷させたモーターサイクリストたちの背後にはイスラエルがいるということに確信をもっている者もいる。報復に従事することが別の関心を引き起こす(彼らの見解では必要ではない関心だが)と信じるものもいる。また、イスラエルに対する激しい攻撃のみが、その活動を終わらせるであろうと考えるものもいる。

政府は、以下のことを言って、彼らを満足させることにより、大臣や政治家や報道官たちに権威を行使することができる。つまり彼らは、テヘランでの作戦のことについて何も知らないとか、核施設のコンピューターにヴィールスを侵入させたり、彼ら自身のダメージさえも知らないとか、ということである。

成熟して、自分に自信のあるイスラエルは、広報された活動や、国際外交官を採用する努力により充足することが可能なのである。このことにより、イラン経済をボイコットしたり、政治的圧力をかけるのであるから。これが、基本であり、十分なのである。それ以外には何もないのだ。

悪口を言う人がいるかもしれないし、また、危機を望む者は、イスラエルのモサドの作戦の奇跡について口にするだろう。そういう人たちを無視することは出来ない。しかし、それをステップアップする必要はない。

強い国というのはこのようなことをというのは、このようなことをことさら公言する必要はないのだ。ヘンリー・キッシンジャーが有名なエッセイの中で述べているように、「アメリカは非常に強い国である。イスラエルの考え、そしてささやきまでを聞くほどまでに。」

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( 翻訳者:松尾愛 )
( 記事ID:25180 )