ラディカル紙のオメル・シャーヒン・アンカラ支部長が司会するカナルAでのTV番組「異論」に出演したヒュセイン・チェリキ公正発展党(AKP)副党首は、重要な発言をした。「私たちの誓い」や(アタテュルクの)「若者たちへの言葉」(を学校で義務として教育することは)廃止すべきだという議論を持ち出したチェリキ副党首は、「これらは、コーランの文句だとでもいうのか」と質した。チェリキ副党首は、アタテュルク保護法について、「誰も法律で人を好きにさせることはできない。アタテュルクのような共和国の建国者が法律で保護されるとは、なんと残念で異様な状況であろうか」と話した。
■アタテュルクを法律で好きにさせることはできない
アタテュルク保護法に関する質問に答えたチェリキ副党首は、「法律で誰かに誰かを好きにさせることはできない。何かをイデオロギー的にすると、それはドグマになる。もし、アタテュルクをイデオロギー上の表面的枠の中に閉じ込めるのであれば、またアタテュルクを議論の対象としないのならば、これはアタテュルクに対する最大の悪態である」と述べた。アタテュルクを法律で保護するのは、異様な状況であると主張するチェリキ副党首は、以下のように続けた。
■法律で保護するとは、非常に残念なことだ
「自国の独立運動を指導し、荒廃した帝国の中から共和国を建国した、自国の建国者である人を法律で保護しなければならないとは、なんと残念なことであろうか。なんと異様な状況か。民主党(DP)や共和人民党(CHP)の告発によって起こった複雑な議論の結果、この法律が生み出された。人は、自国の国民的リーダーを法律で保護するだろうか。このようなことが必要であろうか。人の心の中に存在させなければ、武力や政府の強制力により、他人に誰かを受け入れさせることはできない。(1980年クーデターの指導者)ケナン・エヴレン・パシャは、こう言わなかっただろうか。『我々は、国民の頭にアタテュルクを植え込む。』すべての学校に「アタテュルクの原則と革命史」という授業が義務づけられた。医学部でも実施され、小学校から大学まで義務づけられた。そうするとどうなるか。強制的、独裁的に植え付けられたせいで好きになれないのだ。」
■若者たちへの言葉は、コーランの一部か
チェリキ副党首は、「いつか(アタテュルクの)「若者たちへの言葉」を廃止する提案があったら、どうしますか?」との質問に対し、以下のように答えた。「これも世論が時間をかけて議論する必要がある。「私たちの誓い」を言いだしたのは、レシット・ガーリプだ。これらはコーランの文句か。レシット・ガーリプがこのようなことをいいださなければ、こうはならなかった。1980年9月12日のクーデター企図者を思い出してみると、彼らは「私たちの誓い」に文言を付け加えた。その後に再び、もとに戻した。このようなことはありえない。
トルコで生活している外国人もいるのだ。例えば、ボドゥルムにいる英国人、アランヤにいるドイツ人。私が大臣に就任した頃に、彼らは私に手紙を書いてきた。『私たちはトルコ人ではないが、トルコに住んでいて、子供たちもトルコの学校に通っている。毎朝子供たちは整列させられ、「私たちの誓い」を読まさせられている』と言ってきた。これは人間的なことだろうか。正しいことだろうか。」
■預言者を保護する法律はない
チェリキ副党首は、アタテュルク保護法への私見を述べ、預言者を保護するためのこのような法律がないとした。
「アタテュルクはおくとして、預言者を例にとってみよう。今までに、預言者について、侮辱的なことが山のように書かれた。それでも、預言者を保護するために何か法律があっただろうか。ここからわかることは次のことだ。欧州人権裁判所規約の第10条を見るがいい。たとえ、ある意見が、衝撃的で、混乱を招き、人を不快にさせるものであったとしても、それが暴力的でなれけば、人はその意見を尊重しなければならない。ある者はアタテュルクは世界で最も民主的な人だと言うだろう。また別の誰かがアタテュルクは独裁者だという。(両方の意見が尊重されねばならない。)」
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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:25431 )