去年亡くなったネジュメッティン・エルバカン元首相によって、半世紀以上前に設立されたパンジャル自動車の工場のゲートが、ひっそりと閉ざされたことが明らかとなった。
イスタンブルのバイラムパシャにある、44ドニュム(40,436平方メートル)の敷地をもつ工場が、裁判所の決定によって明け渡され、工場の機械の一部は差し押さえられた。工場の敷地資は資産価値が高く、巨大な看板が掛けられて売りに出された。3ヶ月近くの間、賃金を受け取っていない労働者達は、未払いの賃金と補償金の受け取ろうと待っている。
パンジャル・モーターは、1956年に故エルバカン元首相によって設立されたトルコ初のディーゼルエンジン工場だった。イスケンデルパシャ教団の指導者メフメト・ザヒト・コトゥク師の指示によってギュムシュ自動車という名で作られた工場は、地元では「エルバカンの工場」と呼ばれている。
1964年に出資者が変わり、工場の名前は「パンジャル・モーター」となった。しかしながら、工場にとって最初の困難なプロセスは2001年の通貨危機の後に始まった。最初の危機を乗り越えたパンジャル・モーターだったが、本当の危機は2009年以降に始まった。会社の経営陣は工場の倒産を避けるため様々な措置を講じ立て直しに努めた。しかし、工場立地の所有者である株式会社カイセリ精糖所が、ここ9年間というもの賃料を滞納していることを理由に、裁判所の判決を得て工場の明け渡しを要求した。工場でのエンジンの音は昨年11月中頃から止んでいた。
■ 労働者は機械を差し押さえた。
パンジャル・モーターでは、ごく最近まで80名近い労働者が働いていた。トルコ革命労働組合連盟(DİSK)に属する連合金属労働組合所属の労働者らは、未払いの賃金と補償金を要求し、その額は350万トルコリラ(約1億5,400万円)相当であることが明らかとなった。労働者らは賃金支払いを保証をするため、幾つかの機械を差し押さえた。工場の設備についても、国に支払われていなかった保険の滞納を理由に差し押さえられたことが知られた。現在までにのべ60万機のエンジンが製造された工場だが、今では完全な静寂につつまれている。労働者らは長い間働いた工場の再稼働を期待している。職もお金もないまま新年を迎えたと話す労働者らは、相談できる場所もないと不満を述べた。
■ 3億トルコリラの評価額
パンジャル自動車が建っている敷地をめぐって欲望が膨れあがっている。44ドニュムの敷地の価値を、この地域の不動産業者達は3億トルコリラ(約132億円)と見積もっている。製造品の80%を農機具、20%を小型漁船市場に卸しているパンジャル・モーターは、とりわけ中国の非常に安価な製品がトルコ市場参入して以降、困難な日々を送っていた。
製品はとても丈夫であったが、同業ライバル会社の製品に比べ製品価格が高止まりしていたため、市場で価格競争できない状態に至り、給料、保険負債、そして土地の賃料を支払えない情況に陥った。とくに、アナトリアにおける一大ブランドであり、顧客ロイヤリティ(顧客愛着度)をもつパンジャル・モーターが抱える負債総額は約7億トルコリラ(約308億円)である。
■ 工場の所有者はパンジャル農業
パンジャル・モーターの主要株主はパンジェル農業組合である。エスキシェヒルのパンジェル農業組合が74.8%、パンジャル農業組合17%、パンコビルリキが1.8%、4社の製糖所(カイセリ、コンヤ、アマスヤ、アダパザル)が合わせて6.2%を分担して所有している。
工場で製造された品は、全国にある32のパンジャル組合とこれに属する264の販売所と61の売店の販売経路によって市場に流通していた。パンジャル・モーターの2010年の売上総額は1千万トルコリラ(約4億4千万円)で、同年の損失額は180万トルコリラ(7,920万円)程であった。パンジャル・モーターの2、3キロメートル向かいにあるウゼル・マキネ社(ウゼル機器)でも、同じような事態が生じている。差し押さえられ売りに出されたウゼル社の工場の敷地の一角は、シンパシュ不動産投資会社が公売において買収している。
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( 翻訳者:濱田裕樹 )
( 記事ID:25438 )