国家の正義と安全の保障に関わる3つの機構がある―司法、国家諜報機構(MIT)、警察。
以前から、諜報と警察の間には、調整の不足や問題があったが、これほどの危機になったことはなかった。MITへの捜査令状は、これが単にノルウェーのオスロでMITとPKKが接触していたという件だけだったなら、ことはそれほど複雑とはいえなかっただろう。しかし、警察がKCK捜査で入手した資料によると、一部のMIT職員は、オジャランのテロ指令をPKK本部のあるカンディルにもっていくような考えられないような仕事もしていたらしい!警察と検察が、これを見逃すことができるだろうか?見逃さず検察は捜査をはじめ、(圧力にかかわらず)それを撤回しなかった。検察は、アンカラの検察がフィダン事務次官の調書をとるよう指示をだした。元事務次官のエムレ・タネルと他3人のMIT職員にも、「その場で逮捕」するよう、裁判所から許可をとった。
■諜報という仕事
「諜報(スパイ)の世界」は、普通の常識では考えられないような、違った世界だ。素朴な目で外からみれば誤った、ときには裏切りにみえるほうな行動も、相手の信頼をえ、先にいって大きな国益をもたらすという計算づくの行為だった可能性もある。諜報の世界ではよくあるように、堕落、二重スパイ、さらには裏切りかもしれない。そこはわからない。それゆえ、諜報の世界は秘密の世界なのだ。自分で自分を律するしかない。律しないと、監督の目の行き届かない多くの機構のように、堕落する。
しかし、検察は、法的にみて罪といえる行為に直面するば、捜査をしないわけにはいかない。検察が遠慮するようなことがあれば、犯罪が放置されることになる。MITが遠慮するようになれば、健全な情報収集ができなくなる。警察が怖がるようなことがあれば、命にかかわる作戦をしなくなるかもしれない・・。
その3機構が受け身になれば、間に衝突はおきない!
しかしテロと戦い正義を求める我が国にあって、これがどれだけ致命的な問題か、説明の必要はないだろう。
■MITと警察の対立
警察と諜報の間には、長年にわたる対立がある。警察がテロその他の組織犯罪で1人を捕まえてみると、うち一人は必ずMITのメンバーだ!あるいは、MITはもっている情報を警察に渡さない!警察によれば、MITは、人の手柄をじゃまするか、エゴイストな行動をとる。MITによれば、一回の捜査のためにその諜報員を渡してしまうと、大がかりな追跡がパーになる、とか・・。
残念ながら、MITと警察の間の対立は事実であり、これがテロ組織との戦いの上で大きな弱点となっている。
これには、教育、再編成、配置換えのような対策が必要だ。
■権限の問題
喫緊の問題は、MIT幹部への捜査だ。この捜査により、政府は大きな問題を抱え込んだ。今後、MITは当然の任務である秘密作業をやりにくくなり、クルド問題についても、政府は一定の割合で情報やイニシアチブの不足に直面するだろう。「AKPの裁き」「教団」といった見方が、込み入った問題の現実を覆い隠すことがあってはならない。
ここ5年、そして最近ではこのMIT捜査で明らかになったように、トルコ刑法の250条、251条にある(検察に与えれらた)「特別権限」は大きすぎる。過剰にそれを使う傾向がでている。
単に国家情報機構法をかえて、MIT事務次官に関する捜査の発動に政府の許可が必要とすると変えても、「特定の人を救った」という印象を残す。MIT、参謀本部、軍司令官、首相府事務次官のようなデリケートな地位についても、捜査には「許可」が必要という一般原則をつくるべきだ。許可をするかどうかは、政府が民主的な責任で決める。この改正が行われれば、あとはなんとかなる。そうすれば、エルゲネコン捜査で上記の地位にある被告や容疑者についても政府の許可が求められる。
もし今日の状態がつづけば、国への損害はとても大きくなるか、あるいは、トルコ刑法251条全体の変更が必要になる。私には、他の法的手段が思い浮かばない。
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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:25518 )