カラユランPKK指導者、「PKKと交渉したのは諜報(MIT)ではなく、政府」
2012年02月14日付 Radikal 紙

PKK(クルディスタン労働者党、非合法組織)の北イラクの幹部であり、KCK(クルディスタン社会連合)の指導者でもあるムラト・カラユラン氏は、PKKは、MİT(国家諜報機構)とではなく政府と面会し交渉したのだと述べた。

テロ組織PKK系列のホームページにインタビューを掲載したカラユラン氏は、(MİT幹部の)ハカン・フィダンを標的にした検察による捜査が「PKKとの対話を継続全面中止し、今後誰も、対話をしようなどと思わないように警告するための試み」だと主張した。

カラユラン氏は、政府との間接的な交渉が始まったのはトゥルグト・オザル氏が大統領を務めていた1993年3月であり、翌月オザル氏の死去に伴い交渉が中断したという。またその後については、政府との間接的交渉がイムラル島での(オジャラン終身刑囚と政府との)直接交渉に進展し、また、オスロで政府と直接接触するなどのレベルに高められることを重視してきたと話し、次のように述べた:

「私たちはMİT(国家諜報機構)とではなく、政府と交渉をしたのだ。私たちが面会した代表者から一度も「私たちはMİTだ、MİTとして交渉に来た」と聞いたことはない。トルコ共和国政府を名乗って交渉に来た代表者たちだったと認識している。あの代表の中で誰がMİTの諜報員で、誰が別の組織のメンバーかということは関知しないが、政府の責任のもと、政府を代表してやって来た代表者と交渉したのだ。本質的にこれに道を開いた、環境を準備した精神は重要だ。しかし、AKP(公正発展党)は対話プロセスを擁護しなかった。「政府がやっていることだ」だとAKPは言った。では、この政府とは誰なのか、どこにあるのか、それは定かではない。AKPは問題を解決したいと言っているが、必要な法的対処を何一つ取っていない。一方で民主主義的解決策の名の下で取り組みを始めたといい、他方ではクルド系政治家を狙って政治弾圧を始めるか、少なくともそれを、是認している。クルド問題を的にしたいかなる法的対処もしておらず、これまでの対話の経過を違法なまま放置している。」

またMİTの現事務次官と元事務次官、諜報員に対し検察が調査を始めたことについて、PKKのカラユラン氏は、(検察が)首相や政府に対立しているとは考えておらず、この事件は、「ある種のバランス調整」である可能性が高いと主張した。

また、BDP(平和民主党)ディヤルバクル県本部ビルで発見されたとされるアブドゥッラー・オジャランの直筆の手紙や文章については、それらにはオリジナル1通しかなく、それも自分(カラユラン)の厳重な管理のもとにあり、トルコ国内にもちこまれたり、複製が作られたりしははいないと主張した。カラユラン氏は「オスロでの会合をインターネットにリークしたり、書類を暴露した連中が、これらの手紙を、警察の捜査書類のなかにまぎれこませたのだ。書類は政府かMİTのアーカイヴから盗まれたものだろう。他の出所はあり得ない。万が一他に可能性があるとしたら、国際的な組織がこの文章を持っていたということだが、しかし私はこの可能性はないと思っている」と話した。

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( 翻訳者:池永大駿 )
( 記事ID:25556 )