「アラブの春」の欺瞞
2012年02月23日付 al-Hayat 紙

■「アラブの春」の欺瞞

2012年2月23日 『アル=ハヤート』

【ナーラト・アブドゥルカリーム(シリアの作家)】

属性が知れ渡っているものと異なる時、我々を立ち止まらせることが必定なある種の齟齬がある。そのような齟齬の一例に、シリアの統治体制に「共和国」とい単語が当てられていることがある。これに限定するわけではないが一例として、シリアでは次男のバッシャール・アル=アサドが10年間、父亡き後大統領の座についたのだが、このようなことは、様々な形でその他のアラブの諸共和国で繰り返された光景である。サダム・フセイン(サッダーム・フサイン)のイラクでは、父の相続をするために準備した息子たちがいた。同様に、エジプトではガマール・ムバーラクがフスニー・ムバーラクの推定後継者だった。リビアもこの原則から無縁ではなかった。現在はアラブの諸革命、一部の者が「アラブの春」と呼ぶことで合意している時代であるが、表に現れた他の欠陥はまだあった。このような欠陥は、一部のくにぐにで闘いの塵がぬぐい去られた後に現れた。これは、ことわざで「雪が解けた時に、草原は現れる。」と述べられている如くである。

「革命」が成功したこれらのくにぐにでは、諸般のイスラーム運動が政治の舞台の先頭に立った。これらの運動は、選挙の結果を通じてそのような地位に立ったわけだが、多くの観察者や解説者の見解によると、一連の選挙は清潔で透明だと評された。ここに相違点がある。支配的な考えによると、革命というのは、進歩、革新、克服、旧体制の解体、過去のくびきや遺産や伝統からの脱出という意味を持つ。また同じく相違点になるかも知れないが、「アラブの春」は、かつて支配者たちが自由、社会主義、世俗主義を標榜する諸革命を通じて国家元首の地位に就いたくにぐにに訪れた。氷が解けた国、エジプト、チュニジア、リビアでは逆のこと、すなわち、支配的な意味での革命と逆のことが明らかになった。ここでは、人定法の代わりに、社会のイスラーム化とイスラーム法採用への呼びかけが広まった。最初の雨は、宗教冒涜の告発がエジプトの俳優アーディル・イマームに向けられたことや、身分法からの離脱の試みが複数あったことだった。身分法とは、チュニジアに於いて男女を平等とする、読んで字の如くの法律である。

このことから、少しの悲観と共に私は次のことがいえる。「我々は隠されたノスタルジーと共に帰ってきたのだ。ヘーゲルの弁証法に基づくと、「アラブの春」は否定の否定である。アラブ革命は現在と過去に対する革命であろうか、それとも革命の概念に対する革命だろうか。」

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( 翻訳者:千須和枝里子 )
( 記事ID:25664 )