ナーズム・ヒクメトの恩赦願いと却下の資料、明らかに―1939年
2012年03月23日付 Milliyet 紙


国外追放され辛い人生を送った、世界的に有名な詩人ナーズム・ヒクメト・ランが1939年4月11日にトルコ大国民議会に送った「恩赦」願いと国会がそれを却下した資料が明らかになった。

無罪であると主張するランに対して、国会は法務省刑事局と協議した後1940年5月9日に「恩赦を必要とする理由は見当たらない」としてこれを却下した。

■本の題材となった

トルコ大国民議会請願処理委員会は、思想や著述により国外追放され刑務所で人生を送ったナーズム・ヒクメトがトルコ大国民議会に提出した恩赦願いの資料を国会の公文書保管所で発見した。1940年代に12年間を刑務所で過ごしたナーズム・ヒクメトが、当時国会に提出した恩赦願いに対して回答を貰えなかったことに抗議したことは、多くの本の題材となった。

請願処理委員会は、公文書を調査する際に、ナーズム・ヒクメトの恩赦願いに関連した記録を請願書の帳簿の中から発見した。今日のトルコ大国民議会請願書委員会の前身である委員会が1939年4月3日から1939年10月31日までの請願書をおさめている帳簿では、多くの囚人が許しを請うために国会に恩赦を求めたことが見て取れる。ナーズムの請願書が帳簿に登録されたのは1939年の4月11日であることが分かる。 ナーズム・ヒクメトの恩赦願いは、他の恩赦願いと一緒に請願処理委員会が取り上げて、処理を受けている。

■省とのやりとり

記録は、ナーズム・ヒクメトが恩赦願いを提出した後に請願書委員会が法務省とやりとりをしながら、恩赦願いに対してどのように回答するかを議論していたことを示している。1940年5月9日付の「請願処理委員会の決定リスト」の86ページには、ナーズム・ヒクメトの申請が却下されたことが書かれている。決定では以下のように表現されている。

「残りの刑の恩赦を求める請願者の要望について調査の後、委員会に招請された法務省刑事局ハイダル・ナキ・ユジェキョク局長同席のもと実施された審査の結果、恩赦を必要とする理由が見当たらないことから、請願を拒否する決定が下された」。

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( 翻訳者:小松裕美子 )
( 記事ID:25901 )