Eyup Can コラム:写真の語るもの・・1980.9.12 と1997.2.28
2012年04月14日付 Radikal 紙
ケナン・エヴレン(下)とチェヴィキ・ビル(上)
運命のいたずらを見てください…一人は(1980年クーデターから)30年後、もうもう一人は(1997年「2月28日過程」から)15年後に法廷に引きずり出された。憲法に「裁かれえない人々」という特別条項が設けられていたにもかかわらず。
言葉は過ぎ去った過去を説明するのに十分ではない。
時には一枚の写真、一つの単語がすべてを要約してくれる。
とても興味深い…
先日逮捕された「2月28日過程」当時の軍司令官チェヴィキ・ビル氏は、イスタンブルからアンカラへ移送される際、その飛行機の27F座席で窓から外を見て何を考えたのだろうか?
上空から、すべてはどのように見えたのだろうか?
人生が、走馬灯のように彼の目の前を駆け抜けていっただろうか?
駆け抜けたとしたなら、その人生の走馬灯はどの部分から始まっていたのだろうか?
9月12日クーデター(1980年)の勝利者、参謀総長ケナン・エヴレンと大統領官邸で撮った「この写真」を、彼は覚えているだろうか?
エヴレンが「国家元首」、ビルは「筆頭補佐官」という肩書きで写っている写真である。
一人は前に、もう一人は後ろに…
一人は座って、もう一人は立っている…
前者は「私はやり終えた」といった感じで。
後者は「私がやりましょう」といった雰囲気で…
実際彼らは実行したのだが…
片方(エヴレン)は5月27日(1960年のクーデター)から我々が慣れ親しんだ「モダン(近代的)なクーデター」の首謀者…
もう片方(ビル)は「71年(1971年)書簡によるクーデター」の流れをくむ「ポスト・モダン」なクーデターの計画者。
でも、運命のいたずらを見てください…
片方は30年後に、片方は15年後に、法廷に引きずり出されている。
憲法に「裁かれえない人々」という特別条項が設けられていたにもかかわらず…
「2月28日過程体制は1000年続く」と言われたにもかかわらず…
もちろん過去に遡って見てみるなら、ケナン・エヴレンにもチェヴィキ・ビルにも言い分はかなりある。
彼らを法廷の場に出すことは、私たちがクーデターと向き合おうとしているということを意味する。
象徴的意味合いが非常に高いこの写真から、語るのを始めてくれるならいいのだが…
写真の上に一言、書いてくれるならいいのだが…
そしてすべてが終了するならいいのだが…
痛みを封印するのは簡単ではないとわかっている…
しかし少なくとも、モダン、ポスト・モダン型クーデターの時代がもう二度とやってこないように、すべてがおさまり終了するならいいのだが…
実際この写真こそ、すべてが終了したということを意味しているのではないだろうか?
「復讐」の感情は捨てて、注意深く見てください…
まず当時の日々を思い浮かべてください、そして今日という日々をも…
これ以上の「偽りのモダン」はありうるでしょうか?
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:藤井彩香 )
( 記事ID:26072 )