エルドアン首相、国民の意思は戦車で踏みつぶされてきた
2012年04月15日付 Yeni Safak 紙
公正発展党党首のレジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、「この国で、国民の意志を認めなかった者たちがいた。この国で、トルコ大国民議会の意志を認めなかった者たちがいた。『主権は無条件に国民のものだ』と言ったムスタファ・ケマルを認めなかった。国会議事堂には『主権は無条件に国民のものである』と記されている。その下にムスタファ・ケマルの署名もあるが、彼らは認めなかった。では彼らはなんと言ったか?『主権は我々のものだ』と言って、戦車を走らせたのだ」と述べた。
エルドアン首相がアタテュルク体育館で行われた公正発展党のテキルダー第四回定例会議で演説した。国民が自治体サービスを公正発展党の働きにより理解するようになったとし、「テキルダーは広域市になる。2014年の選挙に、テキルダーは広域市として臨む。テキルダーは、広域市となる名誉と誇りを、より違った形で感じられるだろう」と話した。
エルドアン首相は演説で、トルコでは1950年から2002年まで16か月に1回選挙が行われてきており、これはひとつの災禍であったと述べた。
公正発展党が政権の信用と安定を保証してきたとし、政権就任時に「汚職」、「禁止」、「貧困」と戦っていくと述べたことを回顧して、この戦いが概ね成功したことを述べた。
以下、エルドアン首相のスピーチを抜粋する。
■「政治を覆う暗雲」
「この国では、政治が数十年間、後見人の下にあった。政治の上には常に暗雲が立ち込めており、政治以外の力、政治以外の伏魔殿が、国民の意志ではなく自分たちの意志が主権を持つよう、政治の上に常に影を落としてきた。
この国で、国民の意志を認めなかった者がいた。この国で、トルコ大国民議会の意志を認めなかった者がいた。『主権は無条件に国民のものだ』としたムスタファ・ケマルを認めなかった。国会議事堂には「主権は無条件に国民のものである」と記されている。その下にムスタファ・ケマルの署名もあるが、彼らは認めなかった。では彼らはなんと言ったか?『主権は我々のものだ』と言い、戦車を走らせたのだ。彼らは政府の、つまり選挙で選ばれ、国民の意志により築かれた政府の意志を認めなかった。彼らは、国民を常に軽視してきた。
彼らは国民の意志を、国民の選択を、常に軽視してきた。武力、圧力、陰謀、挑発を用いて、国民が選挙で選んだ人たちを任務から遠ざけた。この最大野党の精神の権化である共和人民党は、前回の選挙前になんと呼びかけていたか?『軍隊任務へ』と言っていた。『軍を任務へ』と言う者たちの中に現在、民主主義の英雄を気取る者たちの多くがいる。何が民主主義だ。お前たちに民主主義と何の関係があるのか。今、我々を多くのことで批判する者たちは、まずアタテュルク廟に行き、『軍を任務へ』と言う者たちは、自分たちの責任を問うてみよ。我々はいかなる時も復讐や仕返しに走らなかった。我々はこう言った、『正義が現れるだろう』と。そして司法が現在、その任務を行っている。
1960年5月27日、国民の意志で選ばれた政府が倒され、首相と僚友2人が処刑された。しかしどうなったか?彼らは、国民の中では決して死ぬことはなかったのだ。
処刑されたメンデレス(首相)、ファティン・リュシュトュ・ゾルル(外相)、ハサン・ポラトカン(経済相)を誰も忘れなかった、しかし彼らの処刑を決行した者たちを、国民は全く覚えていない。なぜか?なぜなら彼らは残るに値しなかったからだ。1971年3月12日も同じ様に、国民が権利を与えた政府に干渉がなされた。さらには1980年9月12日にも、また民主主義が棚上げにされ、再び国民の意志が戦車に踏みつぶされた。
9月12日も、2月28日も、他のどの政治への介入も、復讐の感情ではなく、国民の意志の名の下、国民の名の下で調査されている。この調査は、公正発展党のためではなく、国民のため、トルコのため、トルコの未来のため、さらには共和人民党、民族主義者行動党のためを考えて行われるものである。
今我々は、すべてのクーデタについて国会で調査委員会が結成されるべく、管轄省庁に提案を行った。我々はこの問題断固たる決意を持っている。我々はトルコで再びクーデタが起こることを望まない。トルコの未来が再び暗くならないようにと、この審理が行われているのだ。」
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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:26086 )