エルドアン首相批判のイェニ・シャファク紙コラミスト、くび
2012年05月30日付 Radikal 紙
5月25日金曜日、イェニ・シャファク紙でエルドアン首相に批判的な記事を書いたとして、コラミストのアリ・アケル氏が解雇された。
5月25日金曜日、メディアタヴァは、イェニ・シャファク紙の記者のアリ・アケル氏のコラムに対し「ウルデレ襲撃について首相を最も強く批判した記事がイェニ・シャファク紙にのった。『もう黙れ』、と」と報じていた。
アリ・アケル氏がイェニ・シャファク紙に書いた記事は物議をかもした。エルドアン首相を強く批判したアリ・アケル氏がイェニ・シャファク紙をクビになるというニュースは週始めから噂されていた。
アケル氏はこれに答えて昨日Twitterで「(解雇という)記事は間違いだ、これからも記者として書き続ける」と書いていた。
しかしアリ・アケル氏は今朝イェニ・シャファク紙に解雇された。同氏は今朝Twitterで16年間働いたことを誇りに思っており、イェニ・シャファク紙とは完全に関係がなくなった、と知らせた。
■アリ・アケル氏のTwitterの書き込み
・イェニ・シャファク紙におけるここ最近の記事で新聞社と私たちの方向性は相容れないものになってしまった。
・お別れ記事を執筆したい。
・16年間…レポーター、ニュースディレクター、記事ディレクター、そして最後の5年間はワシントン駐在員,,,。
・16年間任されたすべての職務を誇りに思っており、誇りを持って仕事をしてきた。そして16年たってイェニ・シャファク紙と私の方向性は違ってしまった。
・新聞社や同僚から離れなくてはならなくて悲しい、しかし私の良心は安らかだ。すべて理解している…。
・上司、編集部、兄弟のような同僚たちを、すべてを。
・すべてを理解している、つらい時期があり、私たちは今、普段よりよりつらい時期を過ごしているだけだ。
・こんな時期に話したり、書いたりすることはその代償があるものだ。一部のものは常にこうした代償を払っている。
以下が、アリ・アケル氏がエルドアン首相を批判し、職を解かれた「謝罪は明らかにするものではなく、乞うものだ」というタイトルのコラムだ。
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アリ・アケル/イェニ・シャファク紙「謝罪は発表するものではなく、乞うものだ」
軍の下士官アリ・カヤとオズジャン・イルデニズ、さにPKK工作員だったヴェイセル・アテシュがウムト書店を爆発させた後、エルドアン首相がシェムディンリで見せた姿勢をウルデレでも見せていたら、今日、こんな問題になることはなかったろう。
前の記事を読んでいない人たちのために短く説明しよう。シェムディンリにあるウムト書店爆破事件の後、11月20日の朝いきなりシェムディンリに現れたエルドアン首相は、そこからユクセコヴァとハッキャリへ足を伸ばし、この事件を解明するために「協力し合わなければならない」と述べた。当時のヤシャル・ビュユクアヌト参謀総長は「知っている、いい部下達だ」と言ったが、エルドアンはこうした人々の側には立たなかった。シェムディンリの事件の容疑者たちは、2012年1月に39年10ヶ月の懲役判決を受けたが、これには与党が「正しい立場」に立っていたことが影響したことは否定できない。
2011年12月28日の夜、密輸を行ったとされる、大部分が20歳以下の40人のクルド人青少年にトルコF-16戦闘機が爆撃した。これにより34人はばらばらになった。
エルドアン首相は事件の2日後の12月31日に金曜礼拝を終えた後、出口でマイクを向けられ「調査のあと、結果が何であれ必要な措置をとる」と薄っぺらい発言する代わりに、
あるいは、1月3日に公正発展党の党会議で参謀本部や司令部に「メディアはあれこれいっているが、私は感謝している」という代わりに、
今から7年前シェムディンリ(の事件)でとった立場に立っていたら、今日「過ちを認め、謝罪を述べた」と言わずにすんだのだ。
もちろん、首相にシェムディンリ事件のようにウルデレに赴くことを期待したわけではない。しかし間違いであれ、意図的であれ、罠であれ、当初から、爆撃を行ったものではなく爆撃されたものの側に立っていたなら、今日になって謝罪したようなふりをしなくてすんだのだ。
もう周りくどい言い方はやめて、ちゃんと座って話そうではないか。
間違いをおかしたときは、「はい、間違いをおかしました」と言えばいいのだ。謝罪の必要のあるときは「すみません」と言えばいいのだ。しかし、34人の若者の体を戦闘機でバラバラにした事に対し、それがたとえ過失であっても、過ちを認め謝罪してすみものではない。
謝罪で済まされる過ちというものある。しかし、謝罪だけで十分ではなくて、補償をおこなったり、おこなわさせたりする必要のある過ちもある。
エルドアン首相はパキスタンで行った発表は、過ちを認めたのか、謝罪したのか、明白ではない。皆が連日同じ話題に触れ、読者がもう飽き飽きているであろうことも知っている。しかし、エルドアン首相はパキスタンで何と言っていたのか、もう一度、振り返ろう。こう言ったのだ。
「私はCD(ビデオ)で、事件の状況を見た。直にみた。隊列が進んでいる。30~40人ほど。あの高さから見たのでは正確に判断することはできない。見たのは、見張りや察機が提供したCDのデータだ。国軍は必要な措置をとった。ここの地域はテロ地域なのだ。ふつうの国民、市民が住むような地域ではない。このような地域で国軍は、この人はアフメトか、その人はメフメトかと正確に判断を行うことなどできない。
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国軍は真摯に任務にあたった。間違えがあったかもしれない。そのことを発表した。謝罪も発表した。償い(の意志)も発表した。しかし一部の人たちはこれを利用しようとしている。過ちがあったと、、それは認めた。償いをというなら、そうしよう。公式の償い以上のことを行った。どうあっても、テロ組織が求めることを言わせたいのか。そんあことはごめんだ。」(5月22日 イェニ・シャファク紙)
ロボスキ(ウルデレ)虐殺後、6ヶ月間調査が続いている。惨劇に至る過程で権限を委ねられ、それを行使した関係機関と責任者が明確な中、首相閣下、どうかおっしゃってください、心を痛める母親たちに何をなされたのか。
「過ちを認め、謝罪もした」とおっしゃいます。
言ってもらえますか、どんな過ちをしたと説明したんですか!
説明してもらえますか?「謝罪もしました」と言った際に、一体何を伝えたかったのか。
謝罪するのなら、カスムパシャ出身者らしく、人前に出てきて、言ってください。
「はい、たしかに、過ちを犯しました。それも、死んでも忘れることができないような過ちを犯してしまった!」と。
「謝罪します。でもこれでは十分ではない。心に負った傷をうわべだけの言葉は癒すことはできないでしょう」と。
「まずあなた方に許してもらうことを、その後で私たちが神に許さることを欲する」と。
当初から間違った立場に立っているので、これをいえないようでしょう。
ロボスキの状況を見たウルデレ検証委員会の議員らは、「テロリストでないことはあらゆる点で明確だった」と言っている。議員にわかることを、専門家である軍人(や他の人々)が見えないことなどあるのだろうか。
あなたは「国軍は、これは(村人の)アフメトか、あれはメフメトなどとわかるはずがない」とおっしゃいました。我々の国軍などは、そんな程度なのだ。遠くから見たとき『ロバを人間に、テロリストを羊飼いに、密輸者をテロリスト』と勘違いする、その程度の国軍・・。
イドリス・ナーイム・シャーヒンという名の内務大臣がいるが、彼は、可能であれば墓のなかでラバラにされた子供らの死体を墓から出して、刑務所に送る気らしい。最初の日に、「正しい立場」に立たなかったことの代償はこれだ。
事件当日に内務省と関係司令部のトップの首をきっていれば、「たしかに、過ちがあった。その過ちを犯したものは真摯にその罪を償うことなる」と言っていたら、「~かも」と行動し、「~かも」と発言し、「~かも」と振る舞う必要はなかったのに。
パキスタンでの演説までは、まだ、なんとか修正のチャンスはあった。
そんなチャンスはまだあるのか、もうわからない。
あなたがたが、話せば話すだけ、私たちの心は血を流す。
何か言うのであれば、正しいことをのべ、必要なことをやればいい。
そうでないなら、もう永遠に黙っていてほしい。
どうか、もう何もいわないでもらいたい!
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( 翻訳者:畔上曜子 )
( 記事ID:26574 )