「ピエール・ロティの丘、名前を変える必要はない」イスタンブル市長
2012年06月08日付 Radikal 紙
公正発展党(AKP)のヴァヒト・キレル議員がピエール・ロティの丘の名前の変更を要請すると発言したことに関し、イスタンブル広域市市長、カーディル・トプバシュ氏によるコメントが届いた。
カーディル・トプバシュ・イスタンブル広域市市長は、スルタンアフメト広場で行われた「第六回東部からイスタンブルへ―女性の手工芸品展示会」の開会式を開催した。式を終え、トプバシュイスタンブル広域市市長は、公正発展党(AKP)ビトリス県選出ヴァヒト・キレル議員によるピエール・ロティの丘の名称変更に関する発言について、質問に答えた。
質問に不快感を示したトプバシュ・イスタンブル広域市市長は「みなさん」という言葉で始め、「皆が個人的に調べているが、いったいどれほど科学的で学術的であるものやら。私は、知らないことに返答することはできない」と述べた。
ピエール・ロティの名称変更は議題に上がっているのか、この件に関するあなたの考えは、という問いに答えたトプバシュ・イスタンブル広域市市長は、「皆が個人的に思い立ち、どれほど詳細で、どれほど正しいかわからない調査とやらをしている。それについて、つまり自分がよく知らない、歴史家たちも何もいっていない問題についてて、議員がいっている、どれだけ正しいのかわかりもしないことについて、ここで私が述べることは正しいとは言えない。何を思い立って、ここまでするものか。まったく理解不可能だ。まあ、ちゃんと考え、調べてみよう。歴史家が調べてみて、ことはそれからだ。名称を変えるかどうかは、―これまでの情報の蓄積もあるわけで―、実際にその証拠があるなら、その時にまあ、考える。その時に検討する。」と述べた。
■「私たちは激怒している」と述べた。
アクシャム紙に今日掲載されたニュースで、AKPビトリス県選出ヴァヒト・キレル議員の、ピエール・ロティの丘に関する反応が掲載された。キレル国会議員は、「ビトリス県出身として、この丘の名称がピエール・ロティになったことに対し、私たちは激怒している。文書を作成し、地方自治体に必要な要請をする」と述べた。
キレル国会議員は、ビトリス出身の一人として丘の名称変更は、ビトリスの人々を傷つけたと述べ、次のように続けた:
「エユプにあるその有名なキョスクの名前は、1934年までイドリスィ・ビトゥリスィ・キョスクとして知られていた。丘の固有名は「イドリスィの丘」で登録されている。にもかかわらず、1934年にフランス人作家、ピエール・ロティの名前がつけられた。私たちはこれを知った時、ビトリス出身として激怒した。イドリスィ・ビトゥリスィは、ビトリス県を代表する人物の一人である。しかし、ビトリスにとってだけではない。トルコ史の観点から見ても重要な人物である。アクコユンル朝の宮廷において君主の子供たちの養育係を務め、このため、「幸運な先生」として賞賛された人物である。彼は、バヤズィト2世とセリム1世の時代に行ったことによって大きな賛辞を得た。オスマン政治において重要な役割を担ったのである。チャルドゥランで戦い、東アナトリアと南東アナトリアの諸州がオスマン領土に加えられることにおいて示した功績によって、ディヤルバクルに拠点を置くオスマン帝国のアラブ・カザスケル(軍人法官)の地位が与えられた。セリム1世と共にリダニヤの戦いとマルジュ・ダービクの戦いに参戦した。エジプト征服後、イドリスィ・ビトゥリスィはこの国の統治に関し、セリム1世の補佐役を務めた。さらに、リサーレイ・ハザニイェを含む28の著作をもつ歴史上の人物である。なぜ、これほど国に貢献してきた人物の名前をその丘から取り去り、フランス人であるピエール・ロティの名前がつけられたのか。
■『サイード・ヌルスィのように尊敬に値する』
イドリスィ・ビトゥリスィがベディユズザマン・サイード・ヌルスィのような、評価に値する人物であると述べたキレル議員は、次のように続けた:「ピエール・ ロティはフランス人作家としてトルコで好まれている作家のひとりである。少なくとも私たちにはそのように理解されている。しかし、大きな仕事を成し遂げたイドリスィ・ビトゥリスィの名前を取り去り、その丘にピエール・ロティの名前を付けるのはおかしい。イドリスィ・ビトゥリスィはムシュタク・ババやべディユズザマ ン・サイード・ヌルスィのように、私たちにとって尊敬に値する人物の一人である。この丘とキョシュキュの名前を元に戻すため、私たちは努力する。
私たちは必要な書類を集めている。この丘とキョシュキュの名前が以前イドリスィ・ビトゥリスィであったことを示した文書を持ってイスタンブル広域市市長と関係者らに会う予定だ。市議会の決定なのか。それとも一人の決定でもってなのか。名称が変わった理由を綿密に調べた後、必要な要請をする。イドリスィ・ビトゥリスィの泉も キョシュキュもその地域にある。妻と共に眠る彼の墓もそこにある。」
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:細谷和代 )
( 記事ID:26652 )