2月28日過程捜査:元YOK機構長、帰国も逮捕なし
2012年06月24日付 Radikal 紙

2月28日過程の捜査で事情聴取のため検察局に招聘された高等教育機構(YÖK)のギュルズ元機構長が、トルコへ帰国した。帰国後に身柄を拘束されなかったギュルズ元YÖK機構長は、驚いた様子であった。

元YÖK機構長のケマル・ギュルズ教授は、アンカラ県特別権限共和国検察局によって進められている2月28日過程の捜査で供述が求められており、休暇から船 にて帰国したイズミルにて警察により身柄を拘束されなかったことに驚いた様子であった。自身について逮捕が決定していると想定していたケマル・ ギュルズ教授は、警官らとの面談後に逮捕命令は出ていないことを知り、面談前にまず別れを告げ、その後で抱擁を交わした妻のギュルニズ・ギュルズさんとともに親族の車に乗りアンカラへと向かった。

民間人に向けた6回目の「2月28日過程の大捜査」で供述が求められているケマル・ギュルズ元YÖK機構長は、先週アドリア海にて休暇を過ごすために乗船した「オーシャン・マジェスティ」という名の客船にて、今朝(24日)イズミルのアルサンジャク港に到着した。パスポート審査後に身柄を拘束されると想定し ていたケマル・ギュルズ教授は、妻のギュルニズ・ギュルズさんと抱擁を交わし別れを告げた。港の出口へ真っすぐ進み、そこで警察が自身を待ち構えていると予想していたギュルズ教授は、報道陣に対し以下のように話した。

「私は今まで、法に反するようなことは一切していません。法が与える権利以外の、いかなる権利も行使していません。今後、検察官による尋問 があるでしょう。私は彼らの問いにきちんと答えます。その後のことは、司法の判断に任せます。私は潔白です。トルコ国民への奉仕に疑問を抱いたことはありません。トルコ国民の平和と繁栄、そして(トルコが)国際社会にて確立した地位を築くために誇りを持って働いてきました。私には、びた一文たりとも着服していません。私は何もしていません。2月28日過程について何も知りませんし、何が起きていたのかも知らないのです。逮捕の決定は、モンテネグロのコトル港にて知りました。飛行機にて帰国するつもりでしたが、手配できませんでした。ここ数日はうんざりしながら過ごしました。検察局へ私の居場所も知らせました。」

■「軍部からの指図はなかった」

ギュルズ教授は、同じ捜査の中で供述を求められている他の人々の内、初めて聞く名前があったと述べ、さらに以下のように話した。「アンカラにて、おそらく今日中に私の供述はとられるでしょう。私は何も知りません。2月28日過程、それすら私は知らないのです。大学法の範囲内で任務を果たしました。軍部からわれわれに『ああしろ、こうしろ』といった指図があったということは、記憶にありません。チェヴィク・パシャが書いた手紙が あります。彼への返事も5回は書きました。知っていることはこれだけです。すべて明らかにしました。」

■「私は逮捕されないのか?」

会見後に自ら赴いて警官らと話し、この件に関して逮捕の決定が出ていないことを知って驚きと喜びを見せたギュルズ教授は、「あなた方は私を拘束せず、放っておくのですか?あなた方が私を連行するのではないのですか?私は逮捕されないのですか?自分でアンカラへ出向くのですか?」と警官らに問いただした。逮捕されないことを知って驚き、しかしその後安心した様子を見せたギュルズ教授は、以下のように話した。「私はイズミルのアルタイ出身です。ここは私の故郷です。警官は私に身分証明の確認をしました。私はまずトルコ人だと答え、その後イズミル県アルタイ市カランティナ町の出身で、ボルノヴァ・アナドル高校の 出身だと答えました。(私にとって今)大事なことは、アルタイの現状です。」

ギュルズ教授はその後、先程別れを告げた後に抱擁を交わした妻のギュルニズ・ ギュルズさんとともに、親族の車に乗り込みアンカラへと出発した。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:26827 )