マーシャル・プラン以来のパンの基準に変更
2012年07月01日付 Radikal 紙


食料農業畜産省がパンの基準を変更すると発表し、ついに白パンが姿を消すことになる。新しいパンは塩分が少なめで、ブランが多めになる。これにより、パンがより健康に良いものになると言われている。私たちの食卓の主役である白パンとの付き合いは半世紀を超える。1948年にマーシャル・プランによってもたらされた白パンに別れを告げ、私たちは今日から新しいパンを迎える。

食卓の主役はいつもパンだ。食堂にはグループを分ける山のようなパンがテーブルにある。しかし今日からすべてが変わる。塩分が減り、白小麦粉に少しブランが加えられる。パンに革命のような変更が今日行われる。1948年にマーシャル・プランによってもたらされ、何世紀も食べてきたかのように生活に浸透した白パンと、私たちは別れることになる。その知られざる味は、私たちの慣れ親しんだおいしさなのだろうか、ユフカから始まって何年もの間、全麦パン、ライムギパン、全小麦パン、スティックパン、花のかたちのパン、トウモロコシパンによって私たちが高めてきたパンの歴史に新たな一ページが加わる。

■パンは社会の鏡

食料農業畜産省が決めたパンの基準の適用が今日から始まる。塩分少なめ、ブラン多めのパンは、より健康に良い。パンの糠ブランの割合は増え、塩分は1.75%から1.50% に減る。最も重要なのは、パンを売るすべての場所に全小麦パンが置かれなければならないことだ。パン売り場の陳列の基準も完全に変わる。露店での販売や、肉屋、八百屋でのパンの販売はできない。専門家によると、塩の摂取を1日1g減らすことで、麻痺による死亡率は5%、心臓発作による死亡は3%減る。パンにおけるこの変更は、この点から希望を与えるものだと考える専門家は、トルコで高血圧による死亡の減少にも影響するだろうと話している。

アナトリアにおけるパンの歴史は、文明の歴史とともにある。エジプトで見つかった最古のパンの生産の痕跡は、アナトリアでの最初の文明にも見られた。オスマン朝時代のイスタンブルでは、「ソムン(丸くふくらんだパン)屋」が社会の最も重要な地位を占めた。アナトリアでは女性たちがユフカや様々な地域に独特のパンを作って食卓を楽しませた。今でも様々な地域のパンが焼かれている。パンは私たちと一緒に発展してきた。その後、「アメリカ式」が入ってきた。第二次世界大戦後にヨーロッパの救済を約束したマーシャル・プランは、トルコでも革命のような変化をもたらした。まず、援助の一環として産業用の白小麦粉が入ってきて、生徒に粉乳と、中にマーガリンが塗られた、白小麦粉から造られたパンが配給された。小麦粉が産業用となると、作られたパンの色はより白くなった。自然の製法で生産された小麦粉から作られたパンは、白いパンの横で「黒」っぽく見え、皆が白小麦粉から作られたパンに向かった。

■女性にとってより健康的

パンは、「食を満たす」上で非常に重要であったため、貧しい人たちがパンによりありつきやすくするために、自治体は70年代にパン工場を開いた。すべての貧困に関する議論は、この「国民パン会社Halk Ekmek」の列に並ぶ人たちのことを考えずには行われなかった。生活費の高騰や値上げが話題になると、いつもパンを求める行列ができた。社会生活のすべての分野で最もよい場所は、常にパンに与えられた。
もちろんパンがこの役割をうまく果たすことができるのは、パン職人のおかげだ。オスマン朝時代には非ムスリムの仕事であったパン屋は、パンの人気が増すとすべての層の人々の仕事となった。現在まで40年間パンを作っているパン屋、テュイリュオールのように。パン職人のアフメト・キョク氏は20年間同じパン屋で働いている。40年前は白パンとフランスパンしか焼かなかったと話すアフメト氏は、ブラン入りのパンは20年前から出始めたと話した。アフメト氏によると、年がたつにつれ客の要望が増えたという。様々な長さ、大きさのものや、小100%のパン、ライムギのパンも焼かれるようになった。

■製粉所は検査されなければならない

アフメト氏は、「あの昔のパンはどこだ」と言う。10年前パンを作ると街中に広がったあの香り。「作る場所、職人、かまどは同じなのに、昔のパンの味にはたどり着けない」と彼は言う。小麦がだめになり、昔の小麦粉が見つけられないとアフメト氏は言う。また、新しいパンは特に女性にとってより健康的なものになるとアフメト氏は考えている。
イスタンブルのシシュリ地区パンガルトゥにあるパン屋、マフムトオール・キュレクリのオーナーであるハリル・タム氏は、37年間パン職人をしている。ハリ ル氏は、私たちがパンをとても好きだと再び強調し、「私たちは白パンとともに生まれたと言える。私たちが食卓に座るとまず、食卓にあるパンを見る。新しいパンは違う。私たちは作り始めたが、どうなるかわからない」と話す。
新しいパンを焼くかまどが検査されると話すハリル氏によると、検査は小麦粉や製粉所から始める必要があるそうだ。
オカイ・アクバル氏は1946年に、「まずパンがダメになった」と言ったそうだ。この変更されたパンが私たちの口に合うかはわからないが、慣れるにはみんなに時間が必要だ。

■新しいパン

塩分1.50%。
小麦粉はタイプ65。
露店での販売禁止。
肉屋、八百屋での販売禁止。
重さは最低250gから。

■以前のパン

塩分1.75%。
小麦粉はタイプ55。
バッカル(商店)の前にはパンの入ったかごがあり、肉屋、八百屋でも販売。
重さの下限なし。
形状の決まりなし。

毎日8200万個のパンが生産される。
7700万個が消費される。
500万個のパンが余る。
生産段階で150万個のパンが失われる。
トルコ全土で2万2000軒のパン屋がある。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:26894 )