イスタンブル、チャムルジャの丘に大モスク?
2012年07月04日付 Milliyet 紙


エルドアン首相はチャムルジャの丘にイスタンブルを一望できるモスクの建設を計画していることを明らかにし、建設の担当者の名前も判明した。首相が希望するこのプロジャクトの担当はカフラマンマラシュ市の建築局長ハジュ・メフメト・ギュネル氏であり、チャムルジャに6本のミナレ(尖塔)があるモスクを建てようとしている。

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相が、「全イスタンブルを一望できる」と紹介したチャムルジャの丘に建設予定のモスクについての詳細を本紙は押さえた。カフラマンマラシュに建設されたアブデュルハミト・ハン・モスクをエルドアン首相が気に入ったことで、建築家ハジュ・メフメト・ギュネル氏は環境・都市計画省に諮問役として入省しイスタンブルに移った。彼はわが社にここ20日間設計に携わっているこの計画について説明した。「プロジェクトは規模の点でとても大規模である。祖先が作ったのよりももっと広いドームになる予定だ。ミナレは世界で一番高くする。メディナのそれ(高さ 105メートル)でさえも越える。最低でも6本ミナレを建てる予定だが、何かサプライズもあるかもしれない。」

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は5月29日にウスキュダルのあるセレモニーに参加し、チャムルジャの丘に全イスタンブルを一望できるモスクの建設を計画していることを明らかにした。エルドアン首相の希望するこのモスクを担当する者も判明した。カフラマンマラシュ市のハジュ・メフメト・ギュネル氏は首相の任命でプロジェクトのリーダーとなった。

建築士のギュネル氏がチャムルジャの丘の担当になった経過は、今年の5月に首相がカフラマンマラシュに訪れたことから始まる。首相は、カフラマンマラシュを 廻り、アブデュルハミト・ハン・モスクを気に入りその建築家のことを知り、今回のプロジェクトのモスク建築士も見つけることになった。ギュネル氏はエルドアン首相の指示で環境 ・都市省に諮問役として入り、イスタンブルに向かい、ほぼ20日間三名の仲間と共にモスクの設計計画を練った。自分たち用の特別オフィスを借りて働いていたとし、プロジェクトに関して本紙が質問したことに、以下のように答えた。

・プロジェクトのために諮問役に任じられたのですね。
はい、そうです。プロジェクトを準備しています。担当責任者は私です。また新しい建築士も入れました。彼らも私を補助してくれます。設計士は私です。首相はプロジェクト完成まで二年かかるとおっしゃっています、2、3ヶ月で準備を終えます。

・アブデュルハミト・ハン・モスクと似ていますか?
いいえ、どのプロジェクトもそれぞれ個々に作っています。もしプロジェクトの建築物を似た様式にしたい場合はどのモスクにもそれは可能です。しかしどのプ ロジェクトにおいても新たに計画し直します。今回もそのようなプロジェクトであり、新しいプロジェクトなのです。もちろん異なります。もしかするとスルタンアフメト・モスクにか、(エディルネの)セリミエ・モスクに、また昔のオスマン朝のセラハッディン・モスクのいずれかに似ることになるかもしれない。しかしこれは新しいプロジェクトであり、同じものはゆるされないのです。どのプロジェクトも、どのモスクに対しても新しく計画するのです。

・異なった様式や形になるのですか?
古典的な様式です。モスクを作っているのですからドームやミナレがないことはありえません。

・あなたには規模について明らかにされましたか?
私達は挑戦者です。首相が明らかにした内容に沿って行動しています。一万五千㎡ほどの規模になる予定です。

・設計はいつから始めましたか?
もう20数日になりました。あと1ヶ月半から2ヶ月かかります。容易ではなく、巨大で重要なプロジェクトをやっているのです。

・首相がカフラマンマラシュを訪れた時に会われましたか?
いいえ、お会いしていません。それに今まで一度も直接お会いしたことはありません。ただ官庁に任命を受けただけです。首相がモスクを気に入ったという情報もエルド アン・バイラクタル大臣から教えてもらいました。大臣とはお会いしました。カフラマンマラシュを訪れに来ました。ただ「共に働くことができる」と述べただ けでした。一週間後誘いを受けて、引き受けました。

・アブデュルハミト・ハンモスクがあなたが担当した始めてのモスクでしたか?
はい、それが最初です。その後ラフメト・モスクとオトガル・モスクを作りましたが、設計して作った最初のモスクでした。他のは現代様式です。

・市の建築局長の時モスク建設設計は目標でしたか?
アブデュルハミト・モスクの用地は当時市のものでした。私はイスタンブル工科大学卒業です。設計からはじめてモスクをつくるという考えにいたり、そうして始めたのです。その話は1994年にまで遡ります。そのモスクは17年間かかりました。完全に寄付によって作られたため長期間かかったのです。15-16年間無償で一つの事に取り組みました。

・携わった作品が評価されるのは素晴らしいことです…
とても素晴らしい気持ちです。それに拒否しませんでした。いきなり「さぁ、君がほしいんだよ」と首相が言うんですからね…。いきなり目の前がイスタンブルに開かれたのです。今はここで家を買おうとしています。家族はまだ連れてきていないのです。

・チャムルジャは保護地なため許可は必要ではないのですか?
いいえ。そこでの設計計画は省によって許可は得ています。

・審議にはかけられないのですか?
そこまでの詳細はわからないが、そうは思いません。計画は省庁が行っており、「プロジェクト開始」から25日経過しました。おそらく下準備は終わっているはずです。

・モスクに関連するサプライズはありますか?
大きさ的にも大規模です。祖先が作ったのよりも広いドームになりますし、一番高くミナレを作ります。メディナのミナレを越えるでしょう。計画の中にそのように書いてありました。一番高いミナレにし、一番大きなドームを作ると。そのように決めたようです。

・全世界で一番ですか?
もちろんもちろん。世界ですよ。

・現時点で一番高いのはどれですか?
メデイナにある105メートルのモスクです。私達のはそれを越えるのです。とても大規模なプロジェクトなのです。

・ミナレは何本でしょうか?
サプライズですよ。そこにも私たちの挑戦があります。近いうちに明かすことになります。最低でも6本にはなるでしょう。

・保守派の一部にはこの巨大なモスク建設に難色を示しているようですが…。
世界にはたくさんの例があります。建築物と共にどの時代も思い出されます。パリのエッフェル塔はどうして建てられたのか、またウィーンの塔はどうだったの か。どの時代も自分たちの建築物と共に思い出されるのです。未来に遺産を残すことは、この時代を思い出させる素晴らしい試みだと個人的には思います。これがモスクであってもいいし、他の建築物でもいいです。いかなるものでも時代を思い出すことはできます。間違っているとは 思っていません。

■ハジュ・メフメト・ギュネルとは誰か?

ギュネル氏は1988年にイスタンブル工科大学の建築学科を卒業し、1989年2月にカフラマンマラシュ市で公務員となった。市の整備部で建築許可、違法建造物検査、使用許可、押収時の管理などの業務を行っていた。2008年に局長となった。1996年にカフラマンマラシュ市建築士協会に入り、5年間主任を務めて計8年同協会で役職を務めた。

カフラマンマラシュ市の新支庁と文化公園設立プロジェクト大会で審査役をつとめ、建築士協会カフラマンマラシュ市庁プロジェクト大会では審査員を務めた。ギュネル氏が実施したプロジェクトは、イエニシェヒルの立体駐車場、市間と県のターミナル、アブデュルハミト・ハン・モスク、サチャクルズアデ 図書館、消防署、ビンエヴレル・レクリエーションセンター、ラフメト・モスク、セリンテペ・プールと市の小学校がある。

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( 翻訳者:小幡あい )
( 記事ID:26913 )