かつて「罰せられた町(訳者註:1920年独立戦争期にアタテュルクに反対し、チャパンオウルの蜂起が起こったことでこのように呼ばれる)」と呼ばれるヨズガトの「人口(nüfus)」は減っているが、「影響力(nüfuz)」は増している。トルコ大国民議会議長、憲法裁判所所長、副首相、エネルギー相、6人の県知事と2人の副大臣がヨズガト出身だ。
ヨズガトはアナトリアの地味な町だ。「アナトリアのトラ」と呼ばれる経済発展を果たした近隣のカイセリのような、勢いはない。成長率の順位は、全81県中65位だ。共和国の時代には見向きもされず、そのうえ、アタテュルクから「罰せられた」と言われてきた。しかし、公正発展党とともにヨズガトに幸運が訪れた。その、「罰せられた」と言われた町を、今や国家が愛している。現在国を動かす要人の主要メンバーがヨズガト出身だ。ジェミル・チチェキ大国民議会議長、ハシム・クルチ憲法裁判所所長、ベキル・ボズダー副首相、タネル・ユルドゥズ・エネルギー相、副大臣2名、県知事6名、郡長60名。つまり、ビュレント・アルンチ副首相が言ったように、「崇高な神が、(恩恵を)どんどん与えてくださっている」のである。
■昔から「理想主義者の家」
すべての県には、イメージや連想がある。ヨズガトと言われると、「理想主義者」が思い浮かぶ。「ボゾク平原、理想主義者の家」というのがよく知られたこの町のスローガンである。民族主義者行動党(MHP)がこの町を「牙城」とみなしたのも意味がないわけではない。アルパルスラン・テュルケシュも、国会議員選挙の立候補地にヨズガトを選んだ。改革主義者らは、ヨズガトを昔から好まなかった。ユスフ・ハヤルオール氏が作詞し、アフメト・カヤ氏が歌った有名な歌、「彼の名はバフティヤール」の歌詞の一文がある。罪はただサズを弾いたというだけの「ディヤルバクルのバフティヤール」の流刑の地はヨズガトである。しかし、ボゾク平原はもはや理想主義者の家ではない。2010年の改憲の是非を問う国民投票では、77%が賛成票を投じたヨズガト県は、前回の選挙で公正発展党に66%が投票した。
また、ある県や地方には、その地が名声を得るきっかけとなる職業がある。ある場所からは、「国のリーダー」が輩出される。官界へ人材を送る。アタテュルクのルーツもそこであると議論になり、イノニュとオザルの故郷であるマラトヤ、二人の首相、メスト・ユルマズとタイイプ・エルドアン、多くの大臣を輩出したリゼがその例だ。この二つの代表的な町に今、新しいライバル、ヨズガトが出現した。ヨズガトの人口は減っているが、影響力は急速に増えている。かつて、「国の顔」であった人々の中でヨズガト出身者として、ジェミル・チチェキとリュトフッラー・カヤラルが知られていた。現在国の2番目の椅子に座るチチェキは、政界の長老になった。市長、大臣、副首相、トルコ大国民議会議長として、30年間頂点におり、並大抵ではないキャリアを持っている。しかしチチェキだけだろうか?現在内閣メンバーと官僚における多くの重要な人物がヨズガト出身だ。ベキル・ボズダー副首相、タネル・ユルドゥズ・エネルギー天然資源大臣、選挙の時に大臣の座に就いた、オスマン・ギュネシュ内務副大臣、ファーティフ・メティン関税通商副大臣もそうだ。重要な役職である国民教育省補佐官も、ヨズガト出身のエミン・ザラルスズ氏が務めている。
■「イェルキョイ派閥」
アフメト・ネジデト・セゼル元大統領が若いころ裁判官として過ごしたヨズガト県のイェルキョイ郡は面白いところだ。ハシム・クルチ憲法裁判所所長は、公式的にはクルシェヒル出身に思われるが、イェルキョイの出身だ。イェルキョイで生活し、そこで学んだ。現職の81の県知事のうち6人がヨズガト県出身で、そのうち3人がイェルキョイ出身だ。トゥンジェリ県からトカト県に行ったムスタファ・タシュケセン知事、ハタイ県のジェラッティン・レケスィズ知事、アドゥヤマン県のマフムト・デミルタシュ知事は、イェルキョイ・リセの同窓生である。バルケスィル県のアフメト・トゥルハン知事もイェルキョイ生まれだ。エディルネ県のハサン・ドゥルエル知事と、ニーデ県のアリム・バルト知事もそうだ。数年前、新聞記者オズテュルク氏の兄であるファフリ・オズテュルク氏とレフィク・オズテュルク氏も、「ヨズガト出身の県知事」として任にあたっていた。
アブドゥッラー・ギュル大統領が長い間、私的に連絡を取り合っている、ベルリン総領事のヒュセイン・アヴニ・カルスオール氏もボゾクの地の出身だ。ヨズガト出身者が「同郷人」とみなす人物が、イスラム協力機構(旧イスラム諸国会議機構)のエクメレッディン・イフサンオール氏だ。祖父がヨズガト出身であるイフサンオール氏の名前は、ボゾク大学に設立された研究センターの名称となった。また、「同郷人」であることが喜ばれないような人物もいる。アドナン・メンデレスと二人の大臣の死刑執行に署名したヤッスアダ裁判所所長のサリム・バショル氏のように。メディアではタハ・アクヨル、アフメト・ハカン、エクレム・ドゥマンルのような多くのヨズガト出身の記者がいる。「テルジュマヌ・アフヴァル紙」を創刊したアギャフ・エフェンディも、ヨズガト出身である。
「同郷意識」はこの国の現実であり、時には病気でもある。ヨズガト出身者は特に「同郷意識」を持つ人が多いのだろうか?彼らに尋ねると、彼らはそれを認めない。それどころか、「同郷意識はない」と言う。同郷意識が問題になると、黒海地方出身者やクルド人には及ばないとぼやく。それも真実だ。国家運営を担う人たちのほとんどすべてが、貧しい地方の出身者だ。(そうした人々が出世して国家の要職についているのは)、ほとんど勉強するしかないような貧しい子供達の決意以外の何物でもないのだ。
追伸:この記事の筆者もヨズガト出身ですが、ここで言及された人々の「同郷意識」の感情とは、全く関係はありません。
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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:27510 )