故イルハン・セルチュクは出自を隠していたのか?
2012年09月16日付 Radikal 紙


ハサン・ジェマル氏の新作が更なる議論を生んでいる。ジェマル氏によると、ジャーナリスト故イルハン・セルチュクは、母親がアルメニア人であるということを隠しているというのだ。

ジャーナリスト兼作家のハサン・ジェマル氏が先週発売した著書『1915年:アルメニア虐殺』は、いままでまったく知られていなかった情報を明らかにした。ジェマル氏は『ジュムフーリエト』紙の主幹兼コラムニストのイルハン・セルチュク氏の母親がアルメニア人であったこと、しかしそれを決して口外しなかったことに言及し、「イルハン・セルチュク氏の母親はアルメニア人であった。しかし何故かこれを我々皆に隠していた。イルハン氏の母がアルメニア人であることについては、2010年に彼が亡くなる直前に私は知ることとなった」と記している。作家のムラト・サブンジュは昨日T24で発表したコラムで、ハサン・ジェマル氏の著書を参考にして2年前に亡くなったイルハン・セルチュク氏について書いた。より正しくは、セルチュク氏の母親についてである・・・。サブンジュ氏はコラムで「ハサン・ジェマル氏の新作で知ったのだが、彼(イルハン・セルチュク)も生涯話そうとしなかった、ジェマル氏の表現を借りれば『皆に隠していた』ことがあった。母親がアルメニア人だったことである」と述べている。

■「セルチュク氏が(隠すのも)当然であった」

サブンジュ氏は記事で、セルチュク氏がこのことを何故「隠していた」と思われるかについて、次のように考察している。「おそらく、イルハン・セルチュクは(隠すのも)当然であった。何であろうとこの地でトルコ人以外のアイデンティティを保持することは容易ではない。この共和国の主が、皆、我々全員ではなく、たった一つの集団のものであるかのように示されること、これが当たり前とみなされること。ほかのアイデンティティの排斥。ターゲットにされること、さらには殺されること・・・」。イルハン・セルチュク氏の母親ヒクメト・カースムさんがアルメニア人であるという主張は、以前にも作家エミネ・ウシャクルギル氏の『我が共和国』という本の中でも言及されていた。ヤルチュン・キュチュク氏はこれについて2011年5月8日付の『アイドゥンルック』で発表した「Bir Emine’m」というタイトルの記事でこのことを認めていた。「(エミネ氏は)ある秘密を明らかにしている。イルハン・セルチュク氏の母親が『アルメニア人』であったと述べている。この秘密をエミネ女史はギュルチン・チャイルギルから得たとわたしは思っている。ギュルチンは長い年月私の相談相手であり、親友であった、そしてイルハンと幼少期からの友達であり、イルハンのおばさんのことを「ロズおばさん」と呼んでいた、たしかである」
近いうちにイルハン・セルチュク氏の評伝を著すジャーナリストのオルハン・カラヴェリ氏は、ヒクメト・カースムさんがアルメニア人であると信じてはいないと述べた。ハサン・ジェマル氏は同じ話を2011年4月4日付の「過去は完全に過ぎ去ってはいない」というコラムでも語っていると述べるカラヴェリ氏は、この話を真に受けていない。「この話は私も聞きましたが、信じてはいない。アルメニア人であったとしてもそれが何なのだ。私は彼の家庭環境を、兄弟を、誰も知らない兄弟を知っている。私はイルハン・セルチュク氏の母親がアルメニア人であるという噂などどうでもいい」と述べ、こう付け加えている。「私にとって重要なのは、彼らがトルコ社会の内で築いた地位である」

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( 翻訳者:倉田杏実 )
( 記事ID:27620 )