1.一連の出来事のきっかけは?
タラフ紙は2010年1月20日に「バルヨズ治安行動計画」という名で報道をおこなった。同紙の主張によれば、クーデター計画は、公正発展党(CHP)が2002 年11月に与党となった際、当時の第一軍事司令官であるチェティン・ドアン大将の指導で準備が進められた。報道後、検察の捜査が始まり、タラフ紙のメフメト・バランス記者は2010年1月30日、所持していた書類をスーツケースに入れてイスタンブル裁判所に引き渡した。
2.文書はどんな内容だったのか?
「シーツ(チャルシャフ)」「あごひげ(サカル)」「ナット(スガ)」「空鳴り(オルジ)」というコードネームの計画では、ファティフ及びベヤズィット・モスクの爆破、拘束対象および活用対象となっている新聞記者のリスト、20万人の逮捕、クーデター政権創設、といったセンセーショナルな内容が並んでいた。計画の重要なステップが、ギリシャとトル コ間を戦争状態にし、クーデターのための非常事態や厳戒令を敷く状況に持ち込むことだった。
3.オルネキやフルトゥナが問われた罪とは?
海軍総司令官を退役したオズデン・オルネキ海軍大将の署名といわれる「ナット計画」では海軍によってギリシャを攻撃しようとしていた。退役大将ハリル・イブラヒム・フルトゥナが署名をした「空鳴り作戦」ではトルコの戦闘機を墜落させて、偽の緊張状態を作り出そうとしたらしい。
4.軍部の計画のセミナー参加者は起訴されたか?
第一陸軍司令部によって2003年3月5日~7日の間に行われた計画セミナーに162人が参加したが、そのうち49人について起訴状が作成された。
5.容疑者の数はなぜ増えた?
「軍部のスパイ」捜査の中で2010年10月6日にギョルジュク艦隊司令部で行われた捜索で押収された書類のうち、34の書類がバルヨズ事件に関するものであることが明らかになり、第十重罪裁判所へ送付された。書類を調査した裁判所は、162人の退役者および現役士官について再逮捕することを決定した。
2月にエスキシェヒルでハーカン・ビュユク退役大佐の自宅で発見された新たなバルヨズクーデターの書類に関する捜査の中で、2011年5月30日、逮捕された軍事アカデミーのビルギン・バランル大将と航空軍事学校司令官イスマイル・タシュ少将をも含む15人の拘束者、計28人の容疑者が起訴された。
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6.問題の発端は?
裁判所は、べキル・カルヨンジュ大将、元参謀総長で退役したヤシャル・ビュユカヌト大将およびイルケル・バシュブー大将を証人として喚問した。裁判所は合計 31人について喚問をおこなったが、クーデターが計画されたと言われている2003年に参謀総長を務めていたヒルミ・オズギョク退役大将及び当時陸軍司令官であった退役したアイタチ・ヤルマン退役大将を証人として喚問する提案を認めなかった。証人喚問と専門家による調査の要請を認めないのは、証拠に基づく判断ではなく検察側の解釈を招く原因となるとした弁護団は、審理開始の引き延ばしを始めた。裁判所は「正当な理由がなく審理に参加しない」108人の弁護士に関して罪に問うことにした。
7.電子文書にどんな異議が出たのか?
「バルヨズ作戦計画文書」という名称のワード文書と他の全バルヨズ作戦の文書は一枚のCDに入っている。容疑者の弁護士は、2003年3月5日に編集されたCDに2008年・2009年に関する氏名、軍の階級、住所およびデジタル資料があるとして、そのCDが偽物であると述べた。
8.また振出しに戻るのか?
第十重罪裁判所の判断に異議を唱えた容疑者の書類を、最高裁第9刑事法廷が判断することになる。容疑者の大多数が逮捕されているため、判決は一年以内であると予想される。同法廷が差し戻しを命じれば、地方裁判所、つまり第十重罪裁判所は文書を再審査しなければならなくなる。
9.容疑者は何年服役するのか?
法律家によれば、有罪とされた容疑者らは、テロ犯罪に従って適用される法律の3/4の期間、服役することになる。
つまり、容疑者に下された刑の4分の3の期間の間、服役する。懲役20年の判決を受けたドアン、フルトゥナ、オルネキらは、この見解からすれば、15年以上は刑務所に入れられる。しかし21ヵ月間の勾留期間を刑から除いて、13年以上服役することが必要になるだろう。
10.エンギン・アランの議員権ははく奪されるのか?
勾留中に民族主義者行動党(MHP)からイスタンブル選挙区で当選したエンギン・アラン退役中将の議員権がはく奪されるかどうかは、最高裁第9刑事小法廷が判決を下すだろう。
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( 翻訳者:山本涼子 )
( 記事ID:27675 )