BDP議員、「オジャランとあって流血を止める」
2012年09月28日付 Milliyet 紙

平和民主党(BDP)シュルナク県選出のハシプ・カプラン議員は、法務省からの許可を得て、他3名とイムラル島に行きアブドゥッラー・オジャランと面会することで、流血は阻止しうると述べた。カプラン議員は、オジャランが拘束され、トルコに移送される際に、オジャランと(オジャランの)弁護士という立場で行った面会の記録も自身の(ツイッター)アカウントで明らかにした。

BDPのハシプ・カプラン議員は、ツイッター上での説明において、法務省から出される許可を得て、イムラル島に収監されているアブドゥッラー・オジャランとの面会を行えば、衝突と流血を阻止できる可能性があると主張した。

カプラン議員は、オジャランとの会談は秘密裏に行われうるとの述べ、以下のように続けた:「20年止まることの無い流血、痛み、これらは問題の原因ではなく、犠牲なのです。政治が今、重大な責任を負っている。私たちは共に解決する事が可能であり、非公式の会談、外交、理性、それらが時に、より効果的で有効でありうる。失われた12年間と私たちが失ったものを振り返り、皆が重要な教訓を引き出すことは可能である。政治は全て内省により問題を解決し、あるいは問題が政治を正すのだ。

解決への希望を強めることにおいて、皆が責任を負っている。12年間がどのように浪費されたか、越境攻撃からの撤退後、オスロ交渉や政治が失ったもの、もはや死ではなく、解決を求めよう、議会で、(PKKが拠点とする)山で、刑務所で、オスロで、アンカラで、あらゆる場所で。全ての関係者との話し合いで、新たな一ページを開く時が来た。(公開した)面会記録のオリジナルは、提供されたわら半紙に私が鉛筆で書きとめたものだ。」

カプラン議員は、クルド問題解決において、オスロ交渉やハブル国境プロセスは不首尾に終わったと主張し、以下のように続けた:「最初の(和平を促進する)平和グループは、シェムディンリから入り、拘束され、罪を科された。1999-2004年にPKKは国境を越え、待ち伏せ攻撃で500人が殺された。5年間は武器を使用しなかったが、政治も同時に動かなかった。何も解決しなかった。クルド問題の解決とオスロ交渉のプロセスは、ハブル国境からの2度目の平和グループが原因で、頓挫した、その未熟さから教訓を得なければならない。今回は、ゆるぎない一歩が踏み出され、主要野党がそのプロセスにおいて積極的な役割を担わなければならない、武力省衝突や、流血を阻止することは可能である。私は12年前と同様に解決プロセスに貢献することができる、他3名と共に、法務省と政府は許可を与えてください、イムラル島でのオジャランとの面会は重要である。新たなページが今開かれる時である。」

カプラン議員は、アブドゥッラー・オジャランが12年前に身柄を拘束され、トルコに移送された後、(オジャランと)弁護士として面会した時の記録の写真も公開した。(写真には)鉛筆で書かれた記録の一部に下線が引かれ、示されていた。

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( 翻訳者:有田 潤 )
( 記事ID:27720 )