「アヤソフィアに十字架を」ドストエフスキーの夢
2012年10月08日付 Yeni Safak 紙
文豪ドストエフスキーが93年戦争(露土戦争)時に記した日記から、熱心な汎スラブ主義者であったことが明らかとなった。デリン・ターリヒ誌が行った調査によると、ドストエフスキーは、アヤソフィアに十字架を立てる夢を持っていたという。
ロシアそして世界の文豪としてその名を轟かせるドストエフスキー(1821-1881)の日記がトルコ語に翻訳されたが、そこには彼個人に関する興味深い記述が見受けられる。デリン・ターリヒ誌の10月号では、文豪ドストエフスキーの性格、大ロシアの夢、その夢においてオスマン帝国領がどのような位置を占めていたかをテーマとして扱っている。
■熱心な汎スラブ主義者
研究者・作家のウミト・ベヤズトオール氏のレポートによると、元々共産主義的理想に浸っていたドストエフスキーはシベリア流刑時に聖書と出会い、これがその後の彼の指針となった。また、ドストエフスキーはロシアがオスマン帝国に宣戦布告を行い、全てのスラブ人を結集させる必要があると考えていたことが明らかになっている。作品中で蹂躙・抑圧されている民衆寄りのスタンスを取り、事あるごとに民衆を称賛することで知られている著名な作家が、日記では熱心な汎スラブ主義者であったことは、特にトルコの読者を驚かせた。
■再び十字架をアヤソフィアへ
熱狂的なスラブ民族主義の本性を現したドストエフスキーは、征服の象徴であるアヤソフィアへ十字架を立てるよう説いている:「東で生き続けたキリストの真実は、再度高まりを見せ、キリストの十字架が再びアヤソフィアに立てられ、長い間ロシアにある東方正教会の最後の言となろう。」
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:27815 )