パレスチナの本、オリーブの季節に
2012年10月24日付 al-Hayat 紙


■ パレスチナの本、オリーブの季節に

2012年10月24日 水曜日 『アル=ハヤート』

【ラーマッラー:ファーティマ・ナーウート】

パレスチナ衛星放送の生放送番組「今朝のパレスチナ」のアナウンサーは私に、2012年第八回パレスチナ国際図書展覧会で私が朗読する予定の詩について尋ねた。私は彼女に、私と、エジプト、モロッコ、チュニジア、ヨルダンからのアラブ人とそれ以外の国の詩人達の出席は、もし発表に何の困難もなければ、それ自体が「事件」である、と答えた。私は今、パレスチナ、すなわち夢にまで見た土地に立っている。それ自体が「詩」であり、詩歌によって表現されるものではない。何歳まで生きたこととは関わりなく、私はこの文より美しい文を書けるとは思わない。聞くものの夢の文である。

私は夢を、実現可能な夢、実現が難しい夢、実現不可能な夢に分けることに慣れきっていた。私の来世にまで持ち越される夢は、「持ち越された夢」と名付けている。私のパレスチナ訪問は、この様な思いの縮小版であった。私のパレスチナ人の詩人である友人の一人はエジプトに来るときはいつも「何を土産に持って来ようか」と尋ねる。私は彼にひとすくいのパレスチナの土と小さな石を持ってくるよう答える。そのひとすくいの土が訪問の象徴なのだ。そして、私は聖なる土地の土によって確証を得るのだ。それは、ガラスのビンを満たし、私の事務所の中の勲章や楯や思い出の品のある書棚の中心を占める。

しかし、私は今、自身でその土地に立っているのだ!イスラエル兵の言うつまらないことには関心を払わず、ヘブロンにあるイブラーヒームの聖地に入る。彼らは、私の首に巻いてある、「エルサレムは我々のもの」と書かれたパレスチナの「ハッタ」(ストール)をにらみ、それを外すように求めたのだが。ほんとうに彼らは抵抗の「象徴」を恐れる。たとえそれがアラブ人の首に巻かれた布切れであったとしても。ここは、神から使わされた預言者イブラーヒーム(彼に平安あれ)の墓である。そしてここは彼の妻「サーラ」の墓である。兵士が肩にした武器は何をするのか?ほら、私は、聖誕教会の前に立ち止まっている。ここは天の奇跡キリスト(彼に平安あれ)が生まれた場所である。ほら、私たちは殉教者ヤースィル・アラファート氏の墓の上に花冠を置く。我々はパレスチナにいる。ここはパレスチナである。そのこと自体が詩である。この土地の上を歩き、空に向けて顔をあげる。この空と同じ空はどこにもない。

パレスチナ図書展覧会委員長のムハンマド・アル=アスマル氏が私に、展覧会に戻るよう電話をかけてきた時、私は、ことばを正しく聞いたかどうか確信が持てなかった。そこで彼に、彼が言ったことを繰り返すよう求めた。我々は、パレスチナの詩人や作家の友人に、我々の国やヨーロッパの祭りで会うことには慣れていた。まるで彼らに祖国が無いかのように!そして我々は、占領や封鎖に対する抵抗の一つの意思表示として、パレスチナ図書展覧会を毎年アラブ諸国で開催することを考えたことがある。しかし、今年彼らはそれを唯一の論理的な方法だと考えたのだ。パレスチナ図書展覧会はパレスチナ以外での開催はありえない。

パスポートに押される不名誉な烙印を回避しつつ、ヨルダン経由でこのよき土地へとアラブ人の客が渡るため。彼らが苦しんでいるように苦しむように、そして苦い待機を体験するために。人の往来の絶えない検問所では、時が進まないのだが、シオニズムの視線には空っぽに見える砕石所の様子を見るために。私は、ここでは泥棒が他人のものを盗む一瞬の恐怖以外、何も感じなかった。

私のもっている怖れと弱さの印は、領土への権利に対する強い確信をもつ非武装のパレスチナ人の心情の見返りとして、彼らを有名にしてしまった武器である。私の意見では数々の賞を与えるのにふさわしい写真を、パレスチナの「サラーム・ファイヤード」首相は、見せてくれた。それは、パレスチナ人の女性が、シオニストが入植攻撃の一つとして引き抜こうとしてういる木の幹にすがりついている写真である。私の目には、この怒っている女性は祖国の土に根を張る木に対する権利に対する確信として映った。もしこれを切ったならば、1000本の木をさらに成長させるのだ。

(後略)

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( 翻訳者:渡辺亜実 )
( 記事ID:28014 )