元法相、「2月28日過程」を検証委員会で証言
2012年11月03日付 Hurriyet 紙


トルコ大国民議会のクーデター検証委員会は、昨日福祉党・正道党の連立政権の当時福祉党所属の元法相シェブケト・カザンを聴取した。民 族主義者行動党所属の委員であるオズジャン・イェニチェリは、カザンに福祉党・正道党連立政権時の(1997年の)「継続的な光のために一時的な暗闇」運動に向けて「蝋燭は消えた。弄んでいる」という言葉を持ち出して、「悪魔の目に親指を入れることはなかったか。あなた達もそそのかしていたでしょう」と述べた。カザンの回答は「そうだ」であった。

カザン元法相は、「自著で、福祉党の過ちという章でまず最初に私自身のことをあげた」と述べて次のように述べた。

「シンジャン首長に電話をして、『あなたはこのような行事(エルサレムの夜)を私たちに知らせずにどうやって行うつもりか』と尋ねた。思い浮かぶ限りのことを述べた。侮辱はしなかったが、非常にきつく話した。その後、彼が刑務所に入ると、私は傷つき、気持ちをつなごうと訪問した。

■「血が流れるか流れない」発言への対処は私の間違いだ

エルバカン(故元首相)は、「血が流れるか、流れないか」という発言を、市長選で勝利した際に党に送られてきた「血を流すに値する我が祖国を守るだろう。この国をあなた達に渡しはしない」というファクスについて行った。「トルコにおいて明らかに変化が起きるだろう。いい方向に向かうだろう。しかしこれが流血を伴うのか、そうでないのか、それは国民が決めることだ」という話を行った。その日が、私が過ちを犯した日である。会派副代表として、演壇にいたのだ。エルバカンがこの演説をなぜ行ったのかを説明しなければならなかった。

■私が最も愛したアレヴィー派

ランプと蝋燭を彼らは消した、と私は述べた。アレヴィー派は反発した。私の最も愛した、最も近くにいた人はアレヴィー派の兄弟であった。私がカルタルで貿易をしていた時、彼らは、私の店の隣のカフェに来た。どのアレヴィー派とも喧嘩にはならなかった。

(2月28日の決定)政党リーダーを訪問して、ともに行動をして、民主主義を守ることが私達の第一の使命であると述べた。しかし、悲しいことに、全てのリーダー達は私達の提案を笑うだけだった。彼らがこのように振る舞わなければ、2月28日以降に生じた事件はなかっただろう。当時の政党人は皆、逆に軍の行動を支持した。

■福祉党に内部のクーデターのシナリオ

エルバカンの首相就任は、アメリカとイスラエルへの敵対となる。政権に長くとどまるべきではない、すぐに政権を手放す必要があった。これはどうしてか。一つは、エルバカンを政権において不成功にはできない。不成功であった場合、チルレル(正道党党首)は耐えられず、政権から抜けることになり政権が崩壊する。もし成 功したならば、そのときは、将来福祉党の中で確実にクーデターが企てられる。内部のクーデターが。なぜなら、問題はエルバカンである。これは実現しなかった。なぜならすぐに解党されたからだ。しかし、その後もこのことは起こった、と思うが、それには触れない。

■エルカヤとビル

(当時の海軍提督)ギュベン・エルカヤは、2月28日過程の一番の戦略家である。保守勢力が杞憂するようになるには、エルカヤが影響していいた。全ての戦略も彼によって作られ、政府に対しメディアで目にした全ての出来事が彼中心に組織されていた。

その後、イスタンブルに向かった際に、飛行機で(当時の副参謀総長)チェヴィキ・ビルと会った。私達は隣同士に座った。「2月28日過程を話そう」と言った。私が述べたことすべてに対して、「大臣、会話不足なのだ」と述べた。私も「来ている制服を脱ぐと、会話不足をその時に感じるでしょう」と述べた。今日最も喜ばしいことは、軍首脳部が政府に従っていることだ。」

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:28138 )