イスタンブル・タクスィム広場、交通地下化の大工事始まる
2012年11月05日付 Zaman 紙


イスタンブルをイスタンブルたらしめている場所といえばタクスィムである。毎日何百万もの人がタクシィム広場で待ち合わせる。仕事場へ急ぐ人がいれば、映画祭へ行くために走る人もいる。さらに自分の主張を聞いてもらうためにここを選ぶ人もいる。

タクスィムはイスタンブルの住人たちだけでなく世界の注目の的である。何百万人ものツーリストがイスタンブルに着いて初めに向かうのもやはりタクスィムである。一日中混み合うこの場所には、花屋、スィミット売り、焼き栗売り、ノスタルジックなトラムヴァイといった多くのシンボルがあり、欠かせない存在となっている。タクスィム広場を上空から見れば、混沌とした状況が見て取れる。一方にはバス、他方にはタクシー、歩行者とすみとり鬼ごっこをする車たち。タクスィムを離れられないもののカオスにうんざりしているイスタンブルの住人たちは、歩行者天国化プロジェクトでほっと息をつくだろう。このプロジェクトによって、タクスィム広場とその周辺が歩行者に開放され、車道は地下を通るようになる。イスタンブル広域市は、交通道路を地下化することによって10万㎡の広場を建設する予定。車両はタルラバシュ、スラセルヴィレル、ハルビイェ、ギュミュシュスユの四方面からトンネルを出入し、広場下を通る。ギュミュシュスユ、スラセルヴィレル間へは、メテ通りから、アタテュルク文化センター、マルマラホテルの前を通り、地上交通が確保される。共和国記念碑周辺の車両、バス、停留所は広場から姿を消す。歩行者は、ゲズィ公園、アタテュルク文化センター前、タリムハーネ、イスティクラル通りを信号待ちや車道横断なしに行き来することができる。地下車道は、タルラバシュ通り方面にある駐車場から、ディヴァーン・ホテルの前までのびる。こうしてタクスィムには約10万㎡の歩行者専用の広場ができる。広場には、かつてゲズィ公園を併設する形で建っていたが後に取り壊されたタクスィム兵舎も再建される予定。文化と芸術の中心となることが期待されるタクスィム兵舎の再建のため、ゲズィ公園周辺のオフィスは移転する。一帯に立ち並ぶトルコ航空をはじめとする多くの旅行代理店やファストフード店も姿を消す。同様にゲズィ公園内にある ベイオール区結婚式場も移転する。

プロジェクトの第一段階であるハルビイェ‐タルラバシュ地下トンネル建設のため、11月5日、ジュムフリイェト通りのタルラバシュ駐車場からディヴァーン・ホテル前までの400メートルの区間が通行止めになった。工事の第一段階は240日で完了する予定で、この間の迂回路が確保されている。タルラバシュからハルビイェへは、タクスィム広場脇を通り、メテ通り→アスケル・オジャウ通り→(ディヴァーン・ホテル前から)ジュムフリイェト通りという形で、ハルビイェからタルラバシュへは、ジュムフリイェト通り(ディヴァーン・ホテル前から)→アブデュルハクハミト通り→タルラバシュという形で通行できる。

■タクスィムで何が起きる?

・プロジェクト全体は1年~1年半という短期間で完了する。
・プロジェクトの第一段階として、タルラバシュ大通り‐ジュムフリイェト通りの車両交通の地下化が始まった。
・車両は、タルラバシュからハルビイェ、タシュクシュラ、ドルマバフチェ方面へ、信号なしに通行することができるようになる。
・ギュミュシュスユ、スラセルヴィレルへは、メテ通り、アタテュルク文化センター前、マルマラホテルの前を通り、地上交通が確保される。
・ジュムフリイェト通りに沿って320メートルの地下車道が建設される。
・記念碑周辺の車両、バス、停留所は広場から姿を消す。これにより、歩行者はゲズィ公園、アタテュルク文化センター前、タリムハーネ、イスティクラル通りを途切れなく行き来することができる。
・地下車道は、タルラバシュ通り方面にある駐車場から、再建予定のタクスィム砲兵隊兵舎の端まで至る。
・タクスィムでは38路線のバスが停車、16路線のバスが通過している。通過する路線の全てがタルラバシュ大通りとジュムフリイェト通りを通っている。このため、地下車道は2車線でバス停留所が設けられる。

メトロ出口はイスティクラル通り脇に設けられる。

工事区域の建物は直ちに元通りに再建される。
タクスィム兵舎の建物が復元され、博物館、アートギャラリー、図書館、本屋、カフェテリア、レストランとして利用される。ゲズィ公園は、建物の中庭部分として残される。この整備は、中庭を社会的な影響力のある場所にすること、兵舎と中庭に注目を集めることを目的としている。

整備の完了後、バスは一切タクスィム広場に乗り入れなくなる。タクスィムで停車もしくは通過する全路線がタルラバシュ大通りとジュムフリイェト通りを使うこととなる。このため、地下車道は2車線でバス停留所が設けられる。バスはタルラバシュ大通りで乗客を乗降させて戻る。ハルビイェ方面行きのバスは、建設される地下道とそこの停留所を使ってタクスィム広場へ至る。ハルビイェ方面からのバスは、ディヴァーン・ホテル前の交差点で乗降扱いをし、新しく建設されるU字道路を通って戻る。他の公共交通機関も同様の形で通行する。地下道の停留所で降車した乗客は、メトロやフニキュレルに直接接続される。歩行者天国化以前はタクスィムを終点としていた路線は、整備後タルラバシュを終点とすることとなる。

■タクスィム砲兵隊兵舎は、ギャラリーに変身

タクスィム砲兵隊兵舎の歴史は、セリム三世の時代まで遡る。兵舎はカプクル軍団の砲兵隊のために1806年に建てられた。1807年のカバクチュの反乱の際、破壊され、マフムート二世の時代に修復された。二度の火事に遭い、アブデュルアズィズの時代に主なプランを保持しつつ整備が行われた。これによって兵舎には、中庭、モスク、塔、玉葱型のドームと玄関扉を備えた壮麗なエントランスや装飾によって帝政を思わせるオリエント風の様式が加わった。1900年代初め まで兵舎として用いられた後、この建物はタクスィム・スタジアムとして使われるようになった。1923年にはここでトルコ・ナショナル・サッカーチームが ルーマニアと試合をし、初めて国際試合の開催地となった。タクスィム砲兵隊兵舎は、リュトゥフィ・クルダル氏がイスタンブル県知事と市長を務めた時期に、その建築的・歴史的重要性が考慮されないまま1940年に取り壊された。跡地はゲズィ公園として整備された。タクスィム砲兵隊兵舎の面積は、ジュムフリイェト通り側153メートル、タキ・ザフェル通り側188メートル、メテハン通り側152メートル、アスケル・オジャウ通り側189メートルで、緑地を含める と28,900㎡である。兵舎の地下に建設予定の駐車場へは、ジュムフリイェト通りとタキ・ザフェル通りの二箇所から出入りできる。建物は地下2層(駐車 場と保管所)、一階、中二階、二階と、部分的に三階から成る。全建設面積は44,300㎡となる。

■プロジェクトの経緯

タクスィム広場には、記念碑とその周りに10,100㎡、メトロの入口に5,931㎡、ゲズィ公園に38,281㎡、合計で54,306㎡の歩行者エリアがある。歩行者エリアを途切れなく結ぶルートは存在しない。イスティクラル通りへ歩いて行くには、信号機のある交差点を渡るほかない。タクスィム広場の歩行者天国化プロジェクトは、実は以前から存在した。最初のプロジェクトは2007年に立てられはじめた。2011年総選挙前にレジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、タクスィム広場の整備と歴史的兵舎の再建を宣言した。こうして実現に向けた動きが加速した。2011年9月16日、イスタンブル広域市議会でタクスィム広場歩行天国化を実現する開発計画が承認された。カルヨン建設が最低値で工事を落札した。プロジェクトの一部が否決された後、着工に向けた取り組みが始まった。11月5日、通行止めが行なわれた。歩行者天国化プロジェクトの予算は51,55百万5,370リラだ。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:28151 )