カルスでヒュセイン殉教1373年の祭礼
2012年11月24日付 Cumhuriyet 紙


預言者ムハンマドの孫にあたるフサインのカルバラー殉教1373年を記念する祭礼が、カルスで執り行われた。

聖アリ・チャルシュ・モスクの正面に集まった十二イマーム派(ジャーファル法学派)の信徒らはしばし祈りを捧げた。同グループはその後、哀歌や 祈りを唱えながら、胸を叩き、背中を鎖で打ちつけながら、ファイクベイ大通りからメルケズ・エフリベイト・ ウシュクル・モスク前まで行進した。カルス戦没兵士墓地前で続けられた祭礼の式の中で、エユプ・テペ知事がスピーチをおこなった。同知事は、千年以上もの間、皆が伝承してきたこの日は、イスラム教徒の一体性・連帯・友愛の日であり、イスラム教やイスラム教徒の敵にとっては喜ばしくない一日であると話 した。

メルケズ・エフリベイト・ ウシュクル・モスクのサイード・アフメト・エルデム師はカルス十二イマーム派の指導者である。同師も、カルバラー事件はイスラム教徒の間に忍び込んだ企みが生んだ悲劇と位置付け、カルバラーの痛みは最後の審判の日まで消えることはないと語った。

エルデム師は、イスラム世界全域でイスラム教徒たちがこの痛みを胸深くに感じているにもかかわらず、いまだムアーウィヤとヤズィード(親子)に類いした者たちが尽きないと述べ、次のように続けた。

「預言者ムハンマド家は、全イスラム世界、ひいては全人類に共通のバックグラウンドです。それほどの痛みを経験した人々が皆、今日預言者ムハンマドの子孫らを慕って抱擁することは、立派で崇高な振る舞いです。1373年前の昨日、ヤズィード(の手)によりヒュセインは殉教しました。現代におけるヤズィードも、残 念なことに今日のイスラム世界に血を流し続けています。その所業の辛い点は、ヒュセインを殉教させたヤズィードにイスラム教徒の一部が手助けをしたように、今日のヤズィードたちにもやはり、軽率なイスラム教徒が手助けをしていることです。われわれは苦しみながら、涙を流しながら、こうした動きを追っているのです。イスラム教徒が可能なかぎり早く軽卒の眠りから覚め、預言者ムハンマド家の灯火の下に団結しますように。それがわれわれの悲願です。」

スピーチ後、多くのグループが礼拝と葬送の詩を口にしながら胸を叩き、鎖を打ちつけながらイェニマハッレのアスリ墓地にまで歩いた。

そこで、近親者の墓地を参ったグループに慈善活動者たちは、チャイや果実水、ヘルヴァなどを振る舞った。

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:28336 )