露土戦争のオスマン兵捕虜の写真、ロシアで発見
2012年12月08日付 Milliyet 紙


俗に(ヒジュラ暦にちなんで)「93年戦争」として知られる露土戦争(1877~78)の際に捕虜となったトルコ兵の写真が、ロシアの博物館に展示された。

「露土戦争の忘れられた写真」という展示で公開された写真には、バルカン半島での戦争から逃げたトルコ人や、捕虜となったオスマン軍の兵士の写真が含まれている。

これらの写真の多くは撮影者不明で、サンクトペテルブルク戦争博物館に展示されている。写真のなかには、負傷したトルコ兵が頭に包帯を巻かれてブルガリア兵の間に座っているものや、捕虜となった8人のトルコ人士官が1ヶ所に集まっているものがある。別のフレームでは、捕虜のオスマン兵に付き添うブルガリア兵が、服装や外見からはオスマン兵にそっくりである点が注意を引く。

バルカン半島で戦争が続いていた際に撮影された写真は、当時を想起させる。ブルガリアの首都ソフィア近郊で撮影された写真では、ブルガリア兵がオスマンの前線を偵察している様子や、大砲発射によって周囲が煙に巻かれている様子が見られる。

展示された写真の中には、戦争によって家を追われたトルコ人移民の写真もある。これらの1枚には、アナトリアに移住した一団が噴水のそばで休憩している様子が収められている。更に、1人のロシア兵がエディルネの歴史的建造物であるセリミエ・モスクの向かいに座っている様子を遠くから写した写真や、チャナッカレの砲床で撮影されたオスマン兵の写真も展示されている。トルコ人捕虜に関する写真は、ブルガリア人芸術家で写真家のイヴォ・ハジミシェフ氏によって収集された。1877年から1878年にかけて続いた露土戦争は、オスマン政府にとって大敗に終わった。戦争でロシア人に捕らえられた10万人近いオスマン人捕虜は、ロシア各地に分散させられた。多くの捕虜がさまざまな理由で命を落とした。ロシアに1年間残った兵士たちの多くは、戦後結ばれた条約によってオスマン帝国に帰還した。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:28495 )