イスタンブル最古のローマ水道施設発見
2012年12月17日付 Zaman 紙


キュチュクチェクメジェでの考古学調査の結果、イスタンブル最古の水道施設が発見された。2007年の表面調査によって始まったバトネア古代都市の発掘によって、イスタンブル最古の居住地に関する重要な発見がもたらされた。

コジャエリ大学考古学学部のシェンギュル・アイドゥンギュン助教授の指揮のもと、コジャエリ大学やイスタンブル大学、海外の大学の専門家らの研究によって発掘が実現した。調査の結果、ローマ帝国の首都がイスタンブル(コンスタンティノープル)に移されてから建設されたと見られる地下水道施設が発見された。
イスタンブルで最も古く最も頑丈な地下水道施設と見なされているこの地下水路は、紀元後330年にイスタンブルがローマ帝国の新しい首都になったことを受け、コンスタンティヌス1世の時代に建築されたのではないかと考えられている。ローマ皇帝の避暑地であったと考えられている居住地には、道路、宮殿や修道院の遺構、貯水槽といった建築遺跡も見られる。水槽は皇帝のシンボルであったと見られる印章付きのレンガによって建設されており、何トンもの水を貯めることができる。その規模は、ここにあった宮殿や他の施設で使用される水をすべてまかなうことができるものであったと考えられている。
発掘における最も重要な発見は、何百メートルにも及ぶ地下水路であった。その出来栄えと建築技術から、ローマ帝国後期、一部はローマ帝国時代を更に遡るものであることが考えられる。イスタンブルがローマ帝国の新しい首都になった頃に建設された水道施設が、今日まで残っていることは驚くべきことである。
イスタンブル県特別行政体において催された、発掘調査に関する紹介プログラムに、イスタンブル県のヒュセイン・アヴニ・ムトゥル知事も出席した。イスタンブルの地下の歴史に新しい扉を開いた今回の発見を紹介するプログラムにおいて、ムトゥル知事は次のように語った。「この街の土地には大変大きな価値がある。イスタンブルは地上も地下も『歴史』なのである。この街でこうした素晴らしい調査が行われ、このような結果に結びついたことを嬉しく思う。さらにイスタンブルの歴史がどれほど広範なものであったかということも明らかになっている。この街のどこを発掘しても、我々を何千年も前にいざなう。このプロジェクトを実現した調査チームを心から祝福しなければならない。彼らはイスタンブルにとって重要な点を明るみに出してくれた。特に水槽と古代都市へ続く水路の発見がそうである。我々はイスタンブルの地上と地下の調査を続けている。来年はもっとさまざまな発見が行われると私は確信している。したがって我々は彼らを常に支援するつもりだ。」

アヴジュラル郡とキュチュクチェクメジェ郡の境界に位置するキュチュクチェクメジェ湖集水域での発掘調査は、2007年に文化観光省からの地表調査の許可によって始まった。2009年には閣議決定により、学術的発掘調査に移行した。調査では最初の農耕が行われたことを示す舟型の石器、新石器時代~鉄器時代(紀元前8,000~1,000年)の陶器、ヘレニズム期(紀元前4世紀)のアンフォラの欠片、湖岸に沿った壁の跡、ローマ時代の柱頭と多くの遺物が見つかった。
2008年にジャングル化した植物群落と潅木を切り払うと、湖岸に大小二つの古代の港が現れた。切り揃えた石材が湖岸に沿って並び、それが重要な貿易ネットワークをもつ港の壁であったことが明らかになった。壁の長さは2km以上に及ぶことが判明した。
湖岸と湖中ではサイドスキャン・ソナーによる探索が行われ、船の碇のようなものが見つかった。湖の周辺の壁は波止場の一部であったと考えられている。発見された他の波止場の遺構と 道路システムは、この地域に軍と貿易の港があった可能性をより高めている。さらに湖の中では古代の灯台の一部と思われる遺構も発見された。こうしてキュチュクチェクメジェ周辺で長年のあいだ語り継がれてきた「湖の中にはモスクがある」という伝説に、決着がついた。

■7,000㎥の貯水槽

発掘調査における最も興味深い発見は、長さ14メートル、深さ7メートルで、すべてコンスタンティノス帝と当時の重要な宗教指導者の名前を記した印章付きのレンガで建てられた巨大な貯水槽であった。7,000立方メートルの貯水槽は、当時最大の貯水槽であったと考えられている。

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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:28592 )