クルド系政治家エルチ氏、死去―クルド問題解決へ大きな損失
2012年12月25日付 Radikal 紙


アンカラでしばらくの間ガン治療を受けていた参加民主党(KADEP)党首でディヤルバクル選出の議員であるシェラフェッティン・エルチ氏が、アンカラ・メディカーナ病院で死去した。

エルチ氏は1977年に初めてトルコ総選挙においてマルディン選出の議員として議会入りし、当時公共事業大臣を務めたが、(1980年)9月12日クーデター後に逮捕された。大臣の任期中に、「トルコにはクルド人がいる、私もクルド人だ」という発言をしたことで、アンカラ軍法委員会により2年3ヶ月の実刑判決を受けた。再度大臣に就任した時には、クルド人らを雇用したとして最高裁判所で裁判にかけられ、2年4ヶ月の実刑判決を受けた。この刑により、30ヶ月以上の期間を刑務所で過ごした。その結果、約10年間参政権を剥奪され、弁護士としての職も奪われた。2011年6月12日の選挙でディヤルバクルから無所属議員として当選したシェラフェッティン・エルチ氏がアンカラで死去したことを受け、私たちは、新聞記者のオラル・チャルシュラル氏、平和民主党のハシプ・カプラン議員、作家のアルタン・オイメン氏と対談した。


オラル・チャルシュラル氏:
とても残念です。シェラフェッティン・エルチ氏は私の刑務所仲間でした。9月12日クーデターでは軍言語情報学校でともに刑期を過ごしました。彼はクルド問題を民主主義という土台のうえに据え、勇気をもって追及した知識人の一人です。エルチ氏を失ったことは、クルド運動において大きな損失となるでしょう。

ハシプ・カプラン氏:
シェラフェッティン・エルチ氏と私には家族ぐるみの付き合いがありました。彼は私が中学生の頃の先生だったのです。私たちには政治を超えた友情がありました。彼は極めて勇敢で重要な政治家でした。(クルド問題)解決のプロセスにおいて非常に寄与した政治家でした。とても残念です…あす11時に議会で式典が執り行う予定です。

アルタン・オイメン氏:
シェラフェッティン・エルチ氏のことは、彼が1977−80年に議会で議員をしていたときから知っています。その頃は第3次エジェヴィト政権で大臣を務めていました。クルド問題の重要性を、あらゆる方法を使って明らかにしていました。非常に紳士な政治家でした。彼の死はトルコの政治にとって大きな損失です。特にクルド問題解決という見地からは…

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( 翻訳者:大門志織 )
( 記事ID:28695 )