フェトフッラー・ギュレンからイムラル・プロセスに意外な支援
2013年01月09日付 Milliyet 紙


クルディスタン労働者党(PKK:非合法組織)に対する軍事的解決を擁護するフェトフッラー・ギュレン運動から公正発展党政権へ意外な支援があった。自身のサイトで「平和は善であり、善は平和においてある!」と話したギュレン師は、「安寧のためならば敬意を込めて手に口づけをすることもできるし、ご機嫌を取り結ぶこともできる」と述べた。

フェトフッラー・ギュレン師はkul.orgというサイト上で公開したビデオで平和という話題を強調した。ギュレン師は、イスラムにおいて平和は基礎であり「平和とはまさに善である」という原則が一般的なものであると強調した。

同師は、「国の名誉、国家的威信が踏みにじられない限り、そしてその理想への敬意があり続ける限り、私見では、敬意を込めて手に口づけすることもできるし、ご機嫌を取り結ぶことも可能である。イスラム組織は、国家組織の中で、安寧の維持のために耐え忍べることは、何であれ耐え忍ぶべきである。善は平和においてあり、平和とはまさに善である」と確言した。ギュレン師は、フダイビーヤの和議を想起させ、この歴史的和解をイスラム法哲学の観点から考察し、現代的な諸相及びそこから得るべき教訓を語った。

同師は以下のように続けた:「我々にそぐわない事が幾つかあるかもしれない。『こんな会談がなければ、こんな合意がなければ、こんな和解がなければ…我々、トルコ国民は、こういった誇りをもっている、こういった自負心がある、我々が屈服しなければ、幾つかの事に同意しなければ』と言われる可能性はある。しかしそういった事で幾つかの問題が解決されうるのであれば、まさにフダイビーヤの和議を肝に銘じ、フダイビーヤの和議にある論理と判断に従って、何事も必要であれば実践しなければならない。「来し方行く末の平安」を危険にさらすべきではない。祖国の分裂を引き起こすべきではない。我々の国家が崇高なる国であり続けることを確かなものにすべきである。諸国家間の均衡において、この均衡の要素であることを確かなものにすべきである。これほどまでの利益を有する事柄に対しては、時折、我々は、我々の精神にそぐわない事であっても耐えることができる。」

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( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:28819 )