教会に行かず、イスラム教徒と一緒に礼拝を捧げていたと述べ、有名な作品「東西詩集」の中で、イスラム教徒であるという主張を否定しないと記したゲーテの信仰に関しては、今日まで大いに議論されてきた。
アリフ・アルスラン博士が執筆した「イスラム-ゲーテ」という題名の本では、ゲーテの家系がトルコ人の血を引いていると主張されている。研究者であり作家でもあるセナイル・オズカン氏もゲーテがトルコ人であるという主張を支持している。オズカン氏は、「ハンス・ニールセンが執筆し私自身が翻訳した『ゲーテの血脈に1滴のトルコ人の血』という題名の論文の中でも、ゲーテがトルコ人の家系の血を引いているという見解が見られる」と述べた。
アルスラン氏がオテキ・アダム出版社から出版した本に書かれている情報によると、1291年にイスラム教徒がパレスチナでアッカ城を征服した後、自国に戻ったドイツ人騎士のグラフ・ボン・レヒモティルは、シリアにいるときに行った闘いでメフメト・サドゥク・セリムという名のセルジューク家出身の指揮官を捕虜にし、バーデン・ヴュルテンベルクへと連れ帰った。外科医であり、内科医であり、建築家でもあった、母国語の他ラテン語とアラビア語を話すセリムに対し、短期間でバーデン・ヴュルテンベルク地域最大の伯爵から大佐の称号が与えられる。政治において大きな成功を収めたセリムは、トルコ系であったため「スルタン・セリム」と呼ばれた。 ゲーテはこのセルジューク家出身の指揮官の親戚である。ゲーテの家系はこのドイツのセルジューク家出身の家からフィリップ・スルタンまで遡る。家系図をさらに下っていくと、次のような名前に出くわす。ヨハン・スルタンとその父ヘンリー・スルタンである。ゲーテの家系はヨハネ・スルタンの娘アンナ・スルタンからきている。ドイツで今日まで権力を保ってきた名家ソルダン家はゲーテの親戚である。ドイツの様々な地域に散らばっている「ソルダン」という名の家系は、ドイツではトルコ系として知られている。ソルダンという単語はスルタンという単語に由来している。
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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:28829 )