■エジプト―もしくは革命の時代の愛
2013年1月7日 『アル=ハヤート』
【カイロ:アミーナ・ハイリー】
いつものようにあなたはカイロのナイル川沿いの道路上の彼らを見る。何百、いやおそらく何千という彼らの数は、毎朝のことである。中学校や高校の学生たち。学校の壁を乗り越え授業から逃避した後、少年少女は教科書の残りを抱えている。彼等は、手っ取り早いラブストーリーを探してやってきた。夜には様相が変わり、、(集まる人々の)年齢層が変わっている。年齢層はより高く、昼とは異なる者達がラブストーリーを求めるが、(その様相は)年齢と大胆さに応じて大きく発展している。
体制は変わり、ムバーラクは失脚した。「同胞団」がやってきて、サラフィー主義者の星が昇った。街頭(=公共の場)での道徳の保持と、一般の言論に対する国家の監視についての議論が高揚した。「道徳維持と原則遵守における治安機関支援」のため、勧善懲悪の諸集団を設立したいとの欲求が生じた。たったひとつの導入口を除いて、誰一人として道徳について話すことも匂わせることもせず、考えることもなければ理解することもない。その導入口とは男女関係、一部の者が「愛」と呼ぶ関係に関することだ。
エジプトの若者革命から2年が過ぎた。この革命は、腐敗した体制を放逐し、生活、自由、社会的公正を求めるものだった。(革命後の)別の体制は、一部は直接的に、別の一部は間接的に、公私の自由を決定づけるメッセージを送っている。エジプトでは、「道徳」という単語は1月25日革命以降、女性に適応される単語になった。また、女性は、息をひそめ、化を御隠す必要性に従わなくてはならなくなった。なぜなら、現場における女性の存在は道徳に反しており、原則に逆らっているからだ!
若者たちの大部分が、盗まれた、或いは本来の軌道から大きく逸脱したと感じている革命の原則は、彼らの方向性や生活の詳細、個人的な関心に影響を与えたものである。若者たちは、革命を開始し、革命に同情し、それを支持した人々である。彼らの個人的な関心とは、ある時若者たちが何事も(それについて語る)彼らの唇を抑える指先をどかすことはないだろうと思っていたものである。
逸脱した革命の指先は、若者たちの間や彼らの人生の詳細に深い溝を掘った。「私には、自分が愛しているのか、婚約しているのか、果ては色目を使っているのかもわからない」そう語るのはムハンマド・ウムラーン(20歳・学生)、彼は悲しい微笑みを浮かべた。彼は、「革命前、私は友人の間でドン・ファンとして知られていました。私は、縦横に人生を過ごす普通の若者でした。授業と夏休み、それに女の子との関係のこと以外は考えていなかったものです。あの日、状況が変わり、私は最早勉強と革命の事以外考えないようになりました。最早私には、愛についてや、悲しむ者について考える気持ちはありません」と述べた。
ウムラーンは、革命後彼を悩ますストレスについて話している。このストレスとは、彼が恋愛関係を革命的表現に敵わない愚行と考えるようにしたものである。彼は、かつて恋愛関係で喜んでいた。
(後略)
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( 翻訳者:岸本聖美 )
( 記事ID:28834 )