これがオジャランの見ているテレビ・チャンネル
2013年01月15日付 Zaman 紙

ビュレント・アルンチ副首相は閣議終了後に行った会見で、閣議では国内外の問題を包括的に扱っていると語った。

ある記者の、「パリで殺害されたPKKメンバーの葬儀が水曜日にトルコ国内で行われますが、新たに「ハブル国境門事件」のようなことが起こるのではとの懸念はありますか?」という質問にたいして、アルンチ副首相は今回の殺人事件が綿密に計画されたものであったと考えていると述べた。そして以下のように続けた。「フランスがこの事件を一刻も早く明らかにしてくれるのを望んでいる。遺体をトルコに運ぶのは人道的措置である。故郷に埋葬される予定だが、葬儀に非常に敏感になっている人たちがいるため、この葬儀がさらなる火種とならないようにしなければならない。この問題に関し関係部局が必要な措置をとることになる。問題をその本筋からそらし、ここから政治的利益を得ようとすべきではない。社会を挑発し、暴動につながってしまうような振る舞いは避けなければならない。葬儀をショーやプロパガンダに変質させ、衝突を起こしたがっている周辺グループは犯罪組織であるかもしれない。これらに対して、みんなに警戒してもらいたい。さもなければ治安部隊が事件に介入することになり、これらの事件の張本人らを排除することになる。治安が脅かされるところには軍隊の介入が重要であるからだ」。

この事件は、イムラル島での話し合いと国家諜報機構(MİT)が開始したプロセスが失敗に終わることにつながるとし、ここにおいて現実のものとなりうる可能性があるとアルンチ副首相は説明する。そして「今回の事件や類似する事件、さらにはトルコでこのプロセスが妨害されようとすること、これらが不安材料だ。こうした不安につながらないように葬儀を行うことは、トルコに住むすべての人が心し、努力すべき一つの義務である」と語った。アルンチ副首相によれば、オジャランが見ることになるテレビチャンネルは1つではなく12局になるという。「2013年1月12日、オジャランの部屋に42タイプのLCDテレビが設置されたもようだ。オジャランは同日15時30分からTRT1、TRT6、CNN Türk、Kanal 7、Samanyolu、Show、Kanal D、atv、Star、NTV、Ülke TV、Kanal24の放送を見ることが可能となっている。」

ビュレント・アルンチ副首相はイムラル島でのプロセスに民族主義者行動党(MHP)から批判が寄せられていることに対しては、「MHPの路線はこれだ。合意を受け入れなければならない。プロセスが成功すればMHPはダムの底に沈むことになりうる」と述べた。もう一つの問いに関しては、第4法案がいくつかの追加条項のために、いま決議が延びていることを明かした。また一方では、昨日MİTのハカン・フィダン次官と警察総局のメフメト・クルチラル局長が閣議前に首相官邸を訪問し、ふたり別々にエルドアン首相と会談を行った。首相はその後ネジュデト・オゼル参謀総長とも会談し、さらにサドゥッラフ・エルギン法務大臣、イドリス・ナイム・シャーヒン内務大臣と共にレストランで食事をした。

■オジャランがテレビを欲しがったのではない

テロ組織首謀者アブドゥッラー・オジャランの弟であるメフメト・オジャランと、F型高度警戒収容所に収監されている二名の囚人の親族であるふたりの女性は、昨日朝ゲミリキ港から海路でイムラル島へ向かい、親族との面会を終えて夕刻帰路についた。

メフメト・オジャランはジャンダルマ詰所前で報道関係者らに以下のように語った。

「面会はいたって普通だった。とても残念がっていた。フランスでの虐殺(パリでの3人の女性殺害)を‐ひどく悲しみ‐非難していた。もしこの虐殺ができるだけ早く皆に・・・つまりこれを何と呼ぼうとも、できるだけ早く解明することが必要である。もし今回の虐殺が何かを意味しているなら。これらを考えオジャランはとても悲しんでいた。亡くなった3人の女性の遺族に哀悼の意を表します。私に言えることはこれだけだ」

オジャランは「面会のなかで何か他に話題にのぼったものはあるか?」という質問に対して「次の段階でもし(平和民主党BDP)共同党首らが来たら、その時に答えるつもりだ」と返答した。「どの問題に関するものか」という質問には「これはプロセスに関する…プロセス…。」と表現した。

メフメト・オジャランは、テロ組織首謀者のアブドゥッラー・オジャランにテレビが与えられたことに関する質問に、「彼がテレビを要求したのではない」と答えた。「テレビを欲しいと言ったのは彼ではなかったのか」と聞かれると、「いや、彼の要求ではない。刑務所の所長がすすめ、設置された。そうでなければテレビを受け取るつもりはなかったと言っていた」と話した。

それからメフメト・オジャランと同伴者たちは、待っていた自家用車でゲムリキ港から去った。

メフメト・オジャランは、2012年11月17日にもイムラル島を訪問し兄であるアブドゥッラー・オジャランと面会している。オジャランはその日の書面での発表で、兄が行っていたイムラル島刑務所でのハンガー・ストライキをできるだけ早くおわらせるよう、呼びかけたと語った。

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( 翻訳者:白鳥夏美 )
( 記事ID:28889 )