パリで暗殺のPKK3女性のディヤルバクル葬儀、平静―混乱なし
2013年01月18日付 Hurriyet 紙
パリで殺害されたPKKの女性ら3人のディヤルバクルでの葬儀では、平静が保たれ、挑発的行為は行われなかった。
バトゥケント広場でPKKの旗でくるまれた棺の前でBDP(平和民主党)デミルタシュ党首は、「今こそ平和の時だ」と述べた。3人の遺体はそれぞれ、サキネ・ジャンスズのものはトュンジェリへ、フィダン・ドアンはエルビスタンへ、レイラ・ソイレメズはメルシンへ運ばれた。
バトゥケント広場の群衆は悲しみにくれてはいたが、落ち着いていた。
思ったほどの数の参加者は集まらなかったと、BDPの幹部らも感じたようだ。
平穏にとの呼びかけや、挑発への警告が功を奏したようであった。
葬儀のあと、アフメト・ハーカン、私そしてある新聞記者のグループは、
アフメト・チュルクとスッル・サクク、アイセル・トゥールクと会って、食事をした。
BDP関係者の間には、はっきりとした安堵が見てとれた。
葬儀で混乱が起こらず、オジャランのポスターは掲げられなかった。
アフメト・チュルクによると「葬儀を自分たちが執り行うという、分別ある大人の」振る舞いであった。
とはいえ、私たちは、演壇の隣のバスにいた2人の若者の手元にあったPKKの旗や
PKKとアブドゥッラー・オジャランをほめたたえるスローガンのことは指摘した。
いくつかの報道機関は、興奮のあまり、広場の群衆の数を数十万人と伝えていたが、
私たちは、数は数万人であったと訂正した。
しかし、私たちはこの日のことはともかく、今後のことを心配して尋ねた。
―今後どうなるのでしょう?
アフメト・チュルクは答えた。
―政府は一息つき、更に自信をもつでしょう。
イムラル島での新しい話し合いの道を開くことになるでしょう。
ともかく今回は、(BDP)共同党首らが行くことになります。
―イムラル島で何が話されるのでしょうか?PKKへ武装放棄を通達することは可能でしょうか?
アフメト・チュルクとアイセル・トゥールクは、その可能性はないとみている。
しかし、PKKは武器をもってトルコを去ることはありうる。
1999年オジャランが逮捕されたときと全く同じように……
武装放棄において、昨日(の葬儀)は重要な分かれ目であった。
しかし、その一方で、シェムディンリとマルディンではデモが行われ犠牲者がでている。
トルコ軍は、戦闘機を使ってカンディルを爆撃している。
BDPもこれには首をかしげている。
(PKKは一枚岩ではなく)、「深層国家」のように「深層PKK」が存在するのではという疑惑がある。
アイセル・トゥールクは、アブドゥッラー・オジャランのものと言われる言葉を繰り返す。
―オスロ・プロセスを妨害した人々と、パリでの殺人事件の背後にいる人々は同じ勢力である可能性がある。
ところで、オスロ・プロセスといえば、次の問いが浮かぶ。
今回のプロセスは、2008年(のクルド問題解決策)やオスロ合意と、どう違うのだろうか?
アフメト・チュルクはこう分析している。
―2008年の方は、ご破算になってしまった。オスロの方は、秘密裏に行われた。今回は国民が何が起こっているのかを知っている、見ている。国民から隠れて、平和は実現されない。
私たち記者は、アフメト・チュルクらとの食事をおえ、席をたつときに思った。
違う考えを抱きながらも、同じ希望を分かち合える、ということを。
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( 翻訳者:甲斐さゆみ )
( 記事ID:28942 )