トルコ内閣の4閣僚、交替
2013年01月25日付 Hurriyet 紙
退任した4閣僚
退任した4閣僚

エルドアン首相はかねてより予測されていた閣僚交替を、昨夕に行った。4名の閣僚交替という小規模な変更により、19か月内務大臣をつとめたイドリス・ナーイム・シャーヒン氏のかわりにムアッメル・ギュレル内務委員会委員長、3年半任にあったオメル・ディンチェル国民教育相のかわりにナビ・アヴジュ国会教育委員会委員長、11年間任にあったレジェプ・アクダー保健相のかわりにエディルネ選出国会議員のムフメト・ミュエッズィンオール氏、5年間任にあったエルトゥールル・ギュナイ文化観光相のかわりに、オメル・チェリキ公正発展党副党首が任命された。閣僚交替の発表後、ムフメト・ミュエッズィンオール新保健相は、ブタペストから戻ったばかりのレジェプ・アクダー元保健相をイスタンブルのアタテュルク空港で出迎え、握手をして写真に納まった。

閣僚交替に向けての活動は、エルドアン首相が昨日大統領官邸に向かう何時間も前に始まった。エルドアン首相が、ギュル大統領と17:00に毎週行っている定例会に、15分前はやく到着したことで、(閣僚交替への)期待値が更に高まった。しかし、官邸での面談は、ギュル大統領とネジデト・オゼル参謀総長の3者で行われたという情報により、一時期待が下がった。1時間15分にわたる3者面談が終わり、オゼル参謀総長が離席した後、ギュル大統領とエルドアン大統領の2人になったという情報で再び息を呑んだ。

(ギュル大統領とエルドアン首相の)面談が行われているときに、首相府関係者が、「発表が行われる」という情報を流した。面談は40分ほど続いた。内閣改造は、過去の慣例とは違い、首相による記者会見ではなく、書面で発表された。

内閣改造において、初めてのことが他にもあった。以前には首相本人が記者会見を行い、内閣改造を発表していた。しかし、今回の改造は、首相府の広報顧問のラインで行われた。内閣で11年間変わらない閣僚は、3人のみとなった。ベシル・アタライ副首相、アリ・ババジャン副首相、ビナリ・ユルドゥルム運輸相である。

エルドアン首相が行った部分的な閣僚交替のタイミングは、非常に重要な意味を持っている。トルコは2014年にまず地方選挙、つづいて大統領公選を行う。首相自身の政治的将来の観点でも重要な意味をもつこの二つの選挙に備えるため、側近にもっとも信頼する人々をおくことを選択した。

大臣に任命された4名のプロフィールは次のとおり。

■ムアンメル・ギュレル内務大臣:イドリス・ナーイム・シャーヒン氏に替わり内務大臣に任命されたムアンメル・ギュレル氏は、1949年マルディン生まれ。アンカラで小中高等教育を受け、1972年にアンカラ大学の法学部を卒業した。公務員としての初めての任務を1973年にバルケシル知事補佐(県知事補佐)として始めた同氏は、チャル郡の副長、ペフリヴァンキョイ、ホラサン郡長を務めた。内務省の人事課長も務めたギュレル氏は、内務省で、支所長、支部長、人事部長補佐、人事部長を務めた。ニーデ県、カイセリ県、ガジアンテプ県、サムスン県で知事を務めた同氏は、2003年にイスタンブル県知事に任命された。ネヴァル・ギュレル氏と結婚している同氏には、バルシュという息子とブルジュという娘がいる。同氏は、最近では治安・警備事務次官を務めていた。

■ナビ・アヴジュ国民教育大臣:オメル・ディンチェル氏に替わり教育大臣に任命されたナビ・アヴジュ氏は、中東工科大学の政治・国際関係学部を卒業。コミュニケーション学部の教授であるアヴジュ氏は、アナトリア大学やイスタンブル・ビルギ大学でコミュニケーション哲学やコミュニケーション社会学に関する講義を行った。教育省や首相府で、相談役を務めたこともある。首相府の主任相談役やUNESCOトルコ国内委員会委員長を務め、2011年に公正発展党(AKP)から出馬するために、それらの任務を辞職した。第24回トルコ大国民議会(TBMM)のエスキシェヒル選出議員となったアヴジュ氏は、教育・文化・青年スポーツ委員会委員長、トルコ・カナダ友好議連会長、トルコ・ブラジル友好議連副会長、トルコ・ドイツ友好議連会員を務めている。

■オメル・チェリキ文化観光大臣:エルトゥールル・ギュナイ氏に替わり文化観光大臣に任命されたオメル・チェリキ氏は、1968年アダナ生まれ。ガーズィー大学経済経営学部マネージメント科を卒業した同氏は、同じ学部の政治学科で修士号を取得した。政治学者であり、政治戦略専門のチェリキ氏は、第22回及び第23回にアダナ選出議員となった。今もトルコ国民議会の環境委員会の委員として活動しているチェリキ氏は、2002年以降タイイプ・エルドアン首相の政策秘書を務めている。AKPの中央決定推進委員会の委員である同氏は、2010年3月にAKPの国際部副部長に選ばれた。

■メフメト・ミュエッジンオール保健大臣:1955年(ギリシャの)ギュムルジン生まれ。1982年にイスタンブル大学ジェラフパシャ医学部を卒業。イスタンブル・ハセキ教育・研究病院で内科専門医を務めた。アヴジュラル区相互扶助財団や西トラキヤ教育文化財団、バルカン文明協会の創設メンバーであり、西トラキヤトルコ人協会のメンバーであるミュエッジンオール氏は、中級のギリシャ語、英語、アラビア語力がある。エディルネ選出議員のミュエッジンオール氏は、既婚で2児の父親である。

■オメル・チェリキの替わりにメヴリュト・チャヴシュオール氏

オメル・チェリキが文化大臣に任命されたことにより空席になったAKP国際部副部長には、AKPアンタリア選出議員のメヴリュト・チャヴシュオール氏が就いた。チャヴシュオール氏は、2011年から2012年に欧州評議会議員会議(AKPM)の会長を務めた。

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( 翻訳者:田辺朋子 )
( 記事ID:28996 )