BDP、スィノプ騒乱事件でCHP市長批判を撤回、謝罪
2013年02月20日付 Radikal 紙


平和民主党(BDP) 党員のスッル・スュレイヤ・オンデル氏は、地元紙への声明が引き金となりスィノプで挑発行為の原因をつくったと非難したCHP(共和人民党)のバキ・エルギュル市長に関して、「我々の発言を撤回し、謝罪する」と述べた。

人民民主会議(HDK)の代表団がスィノプで巻き込まれた事件に関係しているとして、スィノプのバキ・エルギュル市長の責任を追及したBDPのスッル・スュレイヤ・オンデル議員は、「地元紙の報道に基づき、我々は市長を批判した」と述べ、謝罪した。黒海地方遊説をサムスンで(途中で)終えることとなった代表団のBDPスッル・スュレイヤ・オンデル議員は、民族主義者行動党(MHP)が、事件の元凶でなはないと弁護する一方で、CHPのスィノプ市長を批判していた。バキ・エルギュル市長は、「私が事件に関係あることを証明してもらいたい、もしそのようなことがあれば、市長職から降り、スィノプを去りましょう」と述べていた。

■トルコ大国民議会(TBMM)で会見を開く

BDPのメルスィン県選出のエルトゥールル・キュルクチュ議員、イスタンブル県選出のスッル・スュレイヤ・オンデル議員、セバハット・トゥンジェル議員、そしてイスタンブル県選出の無所属レヴェント・トゥゼル議員は、議事で合同記者会見を行い、スィノプで起こった事件に関して会見を開いた。BDPのメルスィン県選出のエルトゥールル・キュルクチュ議員は、BDPが黒海地方に組織を作るために遊説したわけではなく、地元のHDKメンバーとの会合、民主的自由のための活動を一本化し、活動に全国規模での方向性を与える目的で、2か月前に決めたことを実行したまでだと説明した。スッル・スュレイヤ・オンデル議員は、地元紙を見せられ、そこに市長の「これらは平和のためにならない」という声明を読んだとし、「しかし、(確認のため)この地元紙を入手できないでいる。地元の仲間から情報を得ようとしたが、この声明はディクメ市長のものだというものもいれば、ゲルゼ市長のものだというものもいる。そのような混乱の中、そうした新聞もどこかへ行ってしまい、見つけ出すことができないので、スィノプ市長に関する声明を撤回し、彼に謝罪することにする。我々が証明したら再び、問題として取り上げるつもりだ。しかし私たちは二つの視点から(代表として)この声明を読んだ。世論(マスコミの)の持つ暴力的な部分ではなく、議論を呼ぶ部分(誰が言ったかどうか)を言い争いたくないので、謝罪するのだ、そして発言を撤回する」
レヴェント・トゥゼル議員は、今回のことで皆マドゥマク事件を思い出し、そしてマドゥマク事件が再び繰り返されるのではと言う不安が生まれていると述べた。トゥゼル議員は、CHPのケマル・クルチュダルオール党首がナショナリズムに関して述べながら、この出来事に触れなかったことを驚くべきことだと述べた。セバハット・トゥンジェル議員も、「スィヴァス事件のような事が起こっていても、トルコはこの状況に屈して(何も対処しないで)いただろう。我々は惨事を免れた。我々は自分たちを守っていたのだ。内務大臣は、政府にこの問題の責任はないとしても、この地方自治体の首長を解任するだろうか。誰かが血を流していたならば、今日トルコでエスニック闘争が勃発していただろう。我々は分別ある行動をとり、一連の事態から緊張を取り除いたのだ」と述べた。

■オンデル氏は何と言ったか。

BDPのスッル・スュレイヤ・オンデル議員は、スィノプとサムスンでの出来事の後、次のように述べた。「我々は、平和を言葉で表現しようとやってきたのだ。オルドゥ、ギレスン、トラブゾン訪問を我々は中止した。プログラムを継続せず、アンカラへ戻る」。CNNトルコに対し、BDPのオンデル氏は、「MHPは組織化されてはいなかった。しかし、CHPスィノプ市長は、この問題の元凶の一人だ。我々は目撃し、写真も撮った。関係者と協議し、告訴するだろう。地元の仲間達と「これらは誰だ」と、彼らの身元を割り出した。MHP党首は事態の収束を促す発言をしている。しかし、スィノプ市長はこの問題の元凶の一人である。こうした事態を狙う発言をしている。長々と話しすぎた」

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( 翻訳者:田中けやき )
( 記事ID:29320 )