故エルバカン没後2年、墓地に祈りの声
2013年02月28日付 Yeni Safak 紙

元首相でミッリー・ギョリュシュ(国民の視座)の指導者であるネジメティン・エルバカンは死去2周年にコズル墓地にある墓の前で信奉者により祈りを捧げられた。ファティフ・エルバカン氏も父ネジメティン・エルバカンと母ネルミン・エルバカンの墓の前で共に祈りを捧げた。

墓で祈りを捧げた信奉者達の多くは涙を流しながら、エルバカンの死を決して忘れないと述べた。追悼式の後にエルバカンの墓のそばに立てられたテントではピラフとアイランが振舞われた。儀式のあと会見を行ったムスタファ・カマラク至福党党首は2月28日過程におきたことの対価をトルコ国民が支払ったと述べ、「[1997年]2月28日過程は兄弟喧嘩で、兄弟が互いを傷つけると、二人ともそれだけ悲しくなった。2月28日過程は3億5千万リラに相当すると言われ ています。この損害を私たちは皆で支払いました」と述べた。

■自身を理解しないものに悲しむ

24年間エルバカンの私設秘書長であったメフメト・カラマン至福党副党首は、エルバカンは最も自身を理解しない人物たちに対し悲しんだと述べた。カマラン氏は、2月28日過程で政権が崩壊させられたと述べ、次のように述べた。「[五つの]市民団体がなぜデモを行ったかわかりません。労働者は見返りがないのでデモをおこなってはいません。エルバカンは最も自身を理解しない者達に対し悲しみました。50%の昇給を得た組合幹部達に対し悲しんでいるのです。その後、彼らはエルバカンに反対したのです。政権の座に6回やって来て7回戻ってきたスレイマン・デミレルに対して悲しみました。」

ジェミル・チチェキ・トルコ大国民議会(TBMM)議長も会見で歴代首相の中でエルバカンが2月28日過程で闘い、辛坊強さと穏当な態度を示したことで歴史上の地位を得た重要政治家になったと述べた。エルバカンのために昨晩ファーティヒ・モスクで祈りが捧げられた。

■エルバカン信奉者はそこにいた

ミッリー・ギョリュシュ主義者であるオウズハン・アシルトゥルク氏、ヤシン・ハティブオール氏、テメル・カラモルラオール氏、フェトフッラー・エルバシュ氏、至福党イスタンブル 県代表セルマン・エスメレル氏もネジメッティン・エルバカンの墓の前にいた。

■ミッリー・ギョリュシュの本も書いた

エルバカンの書籍の中で最も重要な作品の一つはデルギャーフ出版社から出された「ミッリー・ギョリュシュ」という名前の本である。死去するまでの40年にわたる政治活動の初期にあたる1975年9月に出された「ミッリー・ギョリュシュ」は、エルバカンの政界での活動と姿勢すべてを要約した作品で ある。アナドル青年協会のサヒル・トゥルハン会長は、その目的はエルバカンとミッリー・ギョリュシュに関する書物を紛失せずに将来に健全に受け継がれることと述べた一方、「エルバカンの全作品」を収集するM・ムスタファ・ウズン氏も「エルバカンが最も多作な学者たちよりも多くの作品を出していることは驚くべきことである」と話した。

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( 翻訳者:畔上曜子 )
( 記事ID:29390 )