アブドゥッラー・オジャランは、平和民主党(BDP)の議員らに、「自分が責任者じゃない。もしこのプロセスが失敗したら、「もうアポは終わりだ」というだろうが、俺のせいじゃない。BDPとPKKに使われるのはごめんだ」と語った。
「2013年2月23日会見メモ」と題された会見の様子を記したメモは、オジャランの「歴史的な意味をもつ会見が今始まろうとしている。どういう風に進めようか?」という言葉ではじまっている。ハイレットが、「あなたのお好きなように」と返事をすると、オジャランは、クルド問題解決プロセスについての評価と提案をする一方、BDPのメンバーと個人的な話題でも談笑している。
アブドゥッラー・オジャランが、BDPのベルヴィン・ブルダン会派副代表、スッル・スュレイヤ・オンデル議員(イスタンブル選出)、アルタン・タン議員(ディヤルバクル選出)とイムラル島で行い、そばにはMIT(国家諜報局)の担当者も参加した会見にの議事録は、要約すると次のとおりだ。
■我々皆の命がかかっている
「カンディル(のPKKキャンプ)、BDP、そしてヨーロッパへ3通の手紙を書いた。昨日から、このメンバーと集中して議論している。オザル元大統領時代以来、努力してきたが、流れはせきとめられ、中断も余儀なくされた。今回はそのようなことがあってはならない。そうなったら、悲劇だ。トルコ側もそのことを理解していくべきだ。失敗したら、中規模かさらに規模の大きい戦争、反乱、混乱が生まれ、皆の命が危ない。これまでの犠牲など、ラクダ全体の耳だけのようなものだ(=ごくわずかだ、という比喩)。絶対に、平和を目標にしそこに辿りつかねばならない。新しい対話のプロセスに期待している。誰もが、人々みなが、気持ちをいれかえ、戦闘をやめねばならない。」
■体制が変わる
「これまでの生活スタイルを、すべて変えなくてはいけない。なぜか?それは体制が変わるからだ。タンズィマート、立憲制、共和国、複数政党制といった変化よりも、より重要で、より徹底した変化となる。もし成功すれば、新しい共和国が生まれる.....。ラディカルな民主主義、完全なる民主主義、アナトリアとメソポタミアの完全なる民主主義。私の用意しているのは、そのためのものだ。これまでの動きは、準備体操だったのだ。自分のすべての思想と組織的影響力を、この方向で、つまりPKKを準備し変化させるために使っている。これは、真の一歩だ。民主的な組織と生活へのプロセスだ。こうした言葉を、たまたま使ったわけではない。かつても使ったが、理解してもらえなかった。もし理解されていたら、エルゲネコン事件はおこらなかった。与党公正発展党も同じことをいっているが、彼らのは表面的だ。私が、頑固な人間であることはご存知だろう。私は最初の日から、民主的なトルコ共和国を支持してきた。わからなかったのは、彼らの方だ。「アポを終わらせた」と彼らがいったが、それは戦略的な誤りだった。エルゲネコンの方向性をかえたが、今回はそんなことはごめんだ。そのためにも、私を勝手に利用しないよう、あなた方からよくAKPにいてもらいたい。AKPの連中と話をし、説明してほしい。あなた方は議会にいるのだから、役割は重要だ。これまで意味のある妥協ができていたら、エジェビット元首相の時代に、エルゲネコンも生まれず、AKPもできてはいかなった。メティネルはどうかしている。「アポはおいつめられた」といっている。プロパガンダと芝居を近藤している。かれは体制の側につき、ひどいことになっている。AKPを10年来支えているのは、自分だ。ああいう言い方はやめさせねばならない。我々こそが、AKPを生み出した力なのだ。」
■我々か、(パリで暗殺された)サキーネか
スッル・スュレイヤ・オンデル 「我々のところに届いた情報だと、『サキーネの態度と貢献は評価できるものだった。PKKを代表してヨーロッパで任務をし、その任務を終えパリに寄ったときに、この時間がおきた。態度と貢献は評価できる』というものだ。」
オジャラン「我々を撃つか、サキーネを撃つかだったのだ。闇の事件だ。アンカラにきたオネル・ギュナイは、(大統領府のある)チャンカヤに事務所を開いた。スタークは、「諜報局が金をだしている」といっていたらしい。そんなはずはないが、そっちで考えてもらいたい。100万分の1の可能性でも検討してみろ。諜報局は、関係しているのかどうか。連中だって驚いたはずだ。つまり、まだクーデーター主義は続いているのだ。」
(スッルに向かって)「(BDPの演説会がトルコ民族主義者らに妨害された)シノプ事件は偶然か、組織的か?
スッル「組織的なものでした、リーダー。なぜなら、広告会社一社が前々から準備したプラカードとチラシがありました。SMSをつかって、我々へのネガティブキャンペーンをはじめさせたのです。(中略)」
■自己防衛が必要だ
オジャラン「あなた方も、脅されている。サキーネのように。今後は、自分たちで安全を確保できない場所にはいかないことだ。彼らが一発なぐったからといって、10発殴り返すことはできないのだから、いかないことだ。政府は信用できない。アフメト・トゥルクだって、2度も撃たれた。サムソンとイズミルで。サキーネの身におこったことは、だれにでも起こりうる。この個人的な戦争は別問題だ。」(ここでお茶が運ばれてくる。)
(後略)
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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:29394 )