クルド問題解決へ、一歩一歩
2013年03月21日付 Yeni Safak 紙


アブドゥッラー・オジャランの歴史的呼びかけにより結実したクルド問題の解決プロセスは、[そもそも]エルドアン首相の命令によるハカン・フィダンのオスロ会談で始まった。

最初の会談は、国民の同胞・統合プロジェクトの一環で、エルドアン首相の命令により、当時の内閣参与ハカン・フィダン氏により行われた。会談は、ノルウェーの首都オスロで実現したが、その内容は明かされなかった。オスロ会談の録音が露見すると、エルドアン首相が説明を行い、解決プロセスを国民に知らせた。同首相の言葉を借りるならば、通信の上で配慮が欠けており、一時期会談は中止された。

■第一歩はハブル

2009年、解決プロセス最初の包括的試みが行われ、まず、武器放棄が行われた。北イラクのカンディル山とモースル近郊のマフムールキャンプからトルコへ「平和団」の名の下、ハブル国境門からトルコへの入国がなされた。

テロリスト越境の際に生じた出来事により、「民主的解放」と名付けられたプロセスは再度中断となった。

[2012年11月]エルドアン首相がパキスタン訪問からの帰国便で発表を行い、解決プロセスを新たに開始する運びとなった。首相は、新聞記者に対して行った説明の中で下記の通り述べた:

武装闘を放棄した瞬間から、カンディルおよびマフムールキャンプのテロリストは他国へ向かうことが可能となる。

首相のこの発言に続き、イムラル島で収監されているアブドゥッラー・オジャランと平和民主党(以下、BDP)代表団との面談が始まった。まず、バトマン県選出アイラ・アカトBDP議員、民主社会議会アフメト・チュルク共同党首がイムラル島へ向かった。

■リーク

イムラル島へ向かう第2回代表団は、ぺルヴィン・ブルダン、スッル・スュレイヤ・オンデル、アルタン・タン(全てBDP議員)で構成された。代表団はアブドゥッ ラー・オジャランと面談、内容詳細については明らかにしなかったが、要旨がメディアに漏れた。世論では、連日リークの出所について議論となった。エ ルドアン首相はリークについてコメントを避けたものの、セラハッティン・デミルタシュBDP共同党首は、党内でリークが行われた、と話した。

■オジャランの呼びかけ

第3回代表団は、再びぺルヴィン・ブルダン、スッル・スュレイヤ・オンデル、アルタン・タンでの構成が予想されていたものの、アルタン・タンが外れた。代わりに、セラハッティン・デミルタシュBDP共同党首が加わった。デミルタシュのイムラル島訪問で、世論が初めて学ぶことがあった。イマラル島からの帰還で、デミルタシュ共同党首は、オジャランが武装闘争放棄のためネブルーズを[期日にするよう]指示したメッセージを読み上げ、当人が初めてオジャランと会ったことがわかったのだ。

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( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:29531 )