ナスレッティン・ホジャの墓、発見
2013年04月19日付 Milliyet 紙


アナトリア大学文学部芸術史学科のエロル・アルトゥンサパン学科長はスィヴリヒサル郡にある、ナスレッディン・ホジャの息子オメルのものであると思われていた石棺が、調査の結果、ナスレッディン・ホジャ本人のものであると分かったと発表した。

スィヴリヒサル郡のフィクレト・アルスラン郡長は、墓石は保護されてされてウル・モスク図書館から役場へ持ち込まれたと発表し、「ホジャの墓もスィヴリヒサルにあったと分かり、嬉しい。ホジャにふさわしい記念碑をつくる」と述べた。

エスキシェヒルのスィヴリヒサル郡にあるホルトゥ村で1208年に生まれ、1285年にアクシェヒルで亡くなったとされる、民の知恵者で偉大なとんちの名人のナスレッディン・ホジャの墓がスィヴリヒサル郡にあると主張されている。

アナトリア大学文学部芸術史学科の教員エロル・アルトゥンサパン氏は、スィヴリヒサル郡にあった石棺はナスレッディン・ホジャの息子オメルのものであると思われ、郡のウル・モスク図書館に保管されていたと述べた。

■石がナスレッディン・ホジャのものであるとトゥルム氏が明らかにした

エロル・アルトゥンサパン学科長は、アナトリア大学が2003年に行った考古学の発掘活動でナスレッディン・ホジャの娘、ファトマ・ハートゥンの墓を見つけたと述べ、ナスレッディン・ホジャの墓の発表について、次のように説明した:

「50年前に役場が行った調査の際には古い墓地で石棺が見つかり、郡のウル・モスク図書館で保護された。調査の結果、ナスレッディン・ホジャの息子オメル のものだとされたようだ。私たちはこのエリアで考古学の発掘活動をしたため、この石の写真も撮っていた。偶然私と同じ大学で勤務する文学部トルコ語・トルコ文学科の教員メフメト・マフル・トゥルム氏がこの写真を私のところで見つけた。写真を見て、その後長期の研究・調査の結果、この石はナスレッディン・ホ ジャのものであると解き明かした。」

アナトリア大学文学部トルコ語・トルコ文学科の教員メフメト・マフル・トゥルム氏も発表で「石には『ここに眠っているのはシェムセッディンの息子ナスレッディン・ホジャである』と記述されているのを解き明かした。ナスレッディン・ホジャが生まれ、育ち、亡くなった地をスィヴリヒサルとするのが正しいだろう」と述べた。

■ナスレッディン・ホジャとその娘のために記念碑がつくられる

スィヴリヒサル郡のフィクレト・アルスラン郡長も石棺を長い間保管してきた郡のウル・モスク図書館から役場へ移したと述べた。アルスラン郡長は、ナスレッ ディン・ホジャの墓石を役場のアーカイブ室に保管していると述べ、プロジェクトのコンペによりナスレッディン・ホジャとその娘ファトマ・ハートゥンのためにスィヴリヒサル郡に霊廟の形の記念碑がつくられると発表した。

アルスラン郡長は、ファトマ・ハートゥンの遺骨はスィヴリヒサルに、墓石はアクシェヒルにあると語り、必要ならば訴訟を起こすと述べた。同郡長は、ナスレッディン・ホジャの墓石がスィヴリヒサルから出たことは自分たちにとっ て非常に重要な出来事だったと強調し、次のように語った:

「これはスィヴリヒサル郡の人々にとって遅すぎた出来事だ。しかし今日4月19日はスィヴリヒサルやスィヴリヒサルの歴史、スィヴリヒサルの人々にとって 非常に重要な日となるだろう。以前、今から8~9年前、ナスレッディン・ホジャの娘、ファトマ・ハートゥンの墓は、昔のスィヴリヒサルの入り口にあった。現在ファトマ・ハートゥンの遺骨はエスキシェヒル考古学博物館に保管されている。何年も前にナスレッディン・ホジャの娘、ファトマ・ハートゥンの墓石はスィヴリヒサルから持ち出され、エスキシェヒルに、そしてそこからアクシェヒルに移されたことに関する記録が私たちのもとにたくさんある。これに関して文化省の仲介で様々な試みをしたが、結果は得られなかった。ハートゥンの墓石を再び手にいれるため、必要ならば訴訟を起こす。これに関する試みを続けている。ナス レッディン・ホジャの墓石も10~12年前に偶然が重なった結果、私たちのもとに渡った。私たちはこの墓石を由緒あるウル・モスク図書館の担当者に預けた。その日私たちが得た情報は、この石がナスレッディン・ホジャの息子オメルのものであるということだった。私たちはそのように伝えられた。もともと私たちはナスレッディン・ホジャの娘と息子の墓を一緒に建てる予定だった。しかしオメルのものだと思っていた石に書かれている記述が解読され、墓石がナスレッディン・ホジャのものであると分かった。

今後プロジェクトのコンペを行った後、ナスレッディン・ホジャとその娘の霊廟をスィヴリヒサルに建設する。以前はスィヴリヒサル出身のナスレッディン・ホジャの奇譚や人生はよく知られていなかった。だが、この石が証拠だ。ナスレッディン・ホジャは我がスィヴリヒサルの、昔の名前でホルトゥ、今の名前でナスレッ ディン・ホジャ村で生まれた。子供の頃をそこで過ごし、大きくなってからも、私たちの郡で長く暮らした。イマームや説教師、裁判官たちから そのように言い伝えられてきた。もはや今後、喧嘩や騒ぎを起こしている場合ではない。スィヴリヒサルとして私たちのもとにあるナスレッディン・ ホジャの墓石とファトマ・ハートゥンの遺骨を一緒にしてスィヴリヒサルに霊廟をつくることで訪問者を受け入れる。もはや一つの歴史が誕生するのだ。墓石は以前由緒あるウル・モスク図書館の中にあった。当時はイマームたちに預けられていた。様々な試みの結果、博物館員が今私たちの郡に来てこの石をモスクの担当者たちから受け取り、規則に基づいて保管されるよう私たちの役場に届けた。墓石は現在役場のアーカイブ室で保管している。役場はもともとセキュリティがしっかりしている所だ。ちゃんと保管する。」

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:29715 )